木村天山旅日記

  何故バリ島か
  
平成21年5月 

 

第9話 

ホテルの朝食は、楽しかった。

バイキングである。

好きなだけ食べられる。

 

レストランのテラスに出て、食事をする。

一番乗りは、私であり、そして、辻友子がやってくる。

 

一番遅いのが、コータである。

 

何度も、立ち上がり、料理や、飲み物を取りに行く。

 

食事のときに、他のお客と、顔を合わせた。

中国の人が多かった。

日本人の、カップルにも、何組か会った。が、話はしない。

 

帰国日の、朝である。

ホテルの部屋一つを、夜九時まで、利用することにした。

迎えの車は、夜十時である。

 

ホテルのレストランで、夜の食事をして、そのまま、空港に向かう予定である。

 

支援物資が無くなり、荷物が、無い。

行きは大変だが、帰りは、楽々である。

 

本日は、クタ地区のマタハリデパートに出て、買い物をする。といっても、その一階にある、スーパーでの、買い物である。

 

スーパーの中に、おみやげ物も、売っている。そして、安い。

クタの街中で、売っている物は、高いのである。

 

私は、蝋燭と、お香を買う。

いつも、そうだ。タイに、出かけた時も、買うのは、それだけである。

 

それまで、部屋で休むことにした。

 

一泊だけ、サヌールであるから、五泊したことになる。

ボーイさん達とも、顔馴染みになる。

私は、廊下で、歌ったり、朝日に、拍手を打つので、特に、注目された。

辻友子も、朝の太陽を、拝していた。その拍手が、また、響く。

 

一度、朝早く、ホテルの前で、大きな声で、長崎の鐘を、歌った。

すると、隣近所の人が、感激してくれた。

更に、ホテルの厨房からも、大きな歌う声が聞こえた。

 

コックさんが、私に、負けじと歌っていたのだ。

レストランに入ると、コックさんが、私に、手を振る。

 

ホテル前の、商店のおじさんは、それから、毎朝、私に挨拶した。

そして、毎朝歌ってくれと、言う。

顔見知りが増えてゆく。

 

着物や、浴衣を着るので、一度で、覚えられるということもある。

誤魔化し両替屋は、私に声を掛けなくなった。

 

更に、一度、あることで、徹底的に、抗議した通りのホテルは、改装中なのか、営業しているのか、分からない。

どことなく、森閑としていた。

バリニーズも、日本の旅行会社も、巻き込んで、徹底的に、抗議したのである。

 

その後、ホテルから、営業改善の、親書が、送られてきた。

 

適当な、ボーイの対応から、部屋の設備の不備、そして、ホテルの付属のマッサージの、ボーイの、エロ作戦対応などなど、である。

マッサージルームで、セックスにまで、持ち込もうとした、ボーイは、日本人の女なら、喜ぶと、思っていたのである。

それに、引っかかった、日本の女も、多くいたと、思われる。

 

私には、冗談ではなかった。

 

日本人は、無理やりすれば、抵抗しないという、舐めた態度と、気持ちが、許せなかったのだ。

 

ということで、今回の、旅日記は、終わる。

 

出国も、入国も、何事も無く、スムーズ。

インフルエンザの、騒動も、どこ吹く風。

成田では、何事かあるのかと、思いきや。何もなし。

 

あれは、マスコミの、報道の仕方に問題がある。

あたかも、24時間、厳戒態勢のような、報道である。

健康状態の申告書に、記入して、オッケーである。

 

実は、私たちは、期待していた。

もしかしたら、無料で、色々な検査を受けられるかもしれないと。

辻友子などは、乳がん検査や、レントゲンまで撮ってもらおうと、思っていた。更に、血液検査で、どこか、悪いところが無いかと。

 

更に、疑いがあると、ホテルに、国のお金で、泊まれるという、期待。

ホテルに、留まって、しばらく、ゆっくり過ごす。

朝昼晩の、食事も、出るし・・・である。

 

だが、全く、そんな気配もなかった。

残念。

 

税関でも、何も聞かれず、はい、どうぞ、である。

私は、国際ボランティアですと、答えを用意していたのに・・・

 

すぐに、バスに乗り、横浜に向かう。

もう、寝るしかない。

 

旅は、楽しい。

そして、決して、観光旅行では、味わうことの出来ない、人との付き合いである。

今度は、いつ来るの。

そういわれると、嬉しい。

 

いつ来るの

えーと、三ヶ月後で

適当に言ってしまう。

次のバリ島行きは、年が明けてからである。

 

そして、私は、また、年を取っているのである。

 

あはれとも

気の毒なりと

思はざり

それ定めなり

生き抜くことを