パラオ・ペリリュー島追悼慰霊

  Peleliu island, Palau, War victim memorial act
  
11.May.2011

   平成23年5月11日
    
 

 

 ペリリュー島には慰霊スポットが無数にあります。

 日本軍の死者は1万9千人、捕虜は302人でした。うち兵士は7名、水兵は12人、残りはアジア各地の労働者。

 米軍の第一海兵師団の死者1252人、負傷者5274人。陸軍第81師団は死者542人、負傷者2736人。

 米軍はその場で死んだ場合しか戦死者と数えず、負傷者が亡くなった場合は戦死とされません。

 ゆえに戦死者はもっと多いでしょう。障害者になった人もたくさんいるはずです。

 夏休みで帰郷していたホテルの娘さんの車で、まず米軍第81歩兵師団慰霊モニュメントへ行きました。 



日米の兵器が往時の激戦を偲ばせる


陸軍第81歩兵師団慰霊モニュメント


当初3日と目されていた上陸作戦は、2ヶ月に及んだ


日本軍も米軍も死力を尽くした戦場として、太平洋戦史に刻まれる


その後米軍の上陸地点オレンジビーチ、そしてペリリュー平和記念公園へ


パラオ唯一の大学に通うウィリーさん.とっぴな格好に見えるが、南洋ではかるくおしゃれした程度である


岬の向こうにさらなる激戦地、アンガウル島が見える


アンガウルへ渡る高速船は400ドルと高く、今回は行かなかった

 平和記念公園には、敵味方関係なく、すべての戦争犠牲者の慰霊碑があります。

 二度とこんなことが起きないように、祈る思いでした。

 ペリリュー島追悼慰霊その2→☆☆☆

テラの会活動報告