フィリピン

 カガヤン・デ・オロ戦没者・台風犠牲者追悼慰霊 


   平成25年5月16日  

  Memorial Act for war victim of W.W.II and Typhoon Sendong Victim   

  Cagayan de oro Philippines
  
16.May.2013
     

 

カガヤン・デ・オロの川辺です。

かつて日本軍の要衝となり、多くの戦没者が出ました。

未開のジャングルに入っていった部隊の遺骨は、まだ全て発見できたわけではありません。

いまだに多くの遺骨が、誰にも知られず眠っています。

また、昨年12月の台風のとき、2メートルを越す大水が出て、千名が犠牲となりました。

そのご遺体も、未発見で、そのあたりの土の下に埋もれたままになっていると、ききました。

現地の人から、「彼らの魂が迷わないように、儀式をしてほしい」と頼まれました。

戦没者と台風犠牲者、同時に慰霊した様子を紹介します。


いまは草むらとなっているが、かつてはスラム街がひろがっていた


台風による大水のとき、瓦れきやゴミもいっしょに流れてきたので、


それらにはさまれて亡くなった人も多かった。現場は、悲惨な状況だったという


家屋も全て流され、いまは見るかげもない


12時をすぎ、真上にある太陽から、強烈な日光が肌をさしてくる


慰霊、お払いをおえ、御幣を投げたが、なかなか流れてくれない


押し流すようにすると、土色の川にすぐに沈んでいった.主宰によると、こうした沈み方は、いまだ霊が、


さまよっているという意味を持つ.現地人にそのことを伝えると、「無理もありません、深夜2時の、とつぜんの大水でしたから」と。

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15名が、この大樹につかまって助かった。「命の樹」として保存されている。木の上に、水が来た高さを示してある


2メートル以上ある。大水がいかにすさまじかったかを、しのばせる


こんかい協力してくれた、地元の大学生、アップルさんと。なんと17才。

 カガヤンでの活動、全般にわたって指導的な役割を担っていただいた、クリフォードさん。

 たいへん、助かりました。彼や彼女の助けなしには、支援も慰霊も、できなかったでしょう。

 この場を借りて感謝の意を表したいと思います。

 さて、休むひまもなく、次の目的地、ダバオで向かいます。

つづき→☆☆☆

 

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