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木村 天山 きむら てんざん  プロフィール

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和芸家元
(いけばな創流、茶の湯さくら流、舞踊藤乃流、古典着付け志野流、朗吟北雪流、家元)
   
占術研究家 ・ 古神道研究家 ・ 運命カウンセラー
木村天山占学会主宰(活動拠点は札幌)
作家 ・ 作詞家 ・ 作曲家
*** 著書 (代表作「小野妹子」「命凛々」「天草四郎」「エッセイ集」ほか)
   
朗詠家 ・ 演歌師 ・ 雅舞踊家
  
天山芸術院宗家
天山芸術文化学院宗家
天山芸術文化振興会主宰
天山塾主宰(日本学講座)
  
オフィスTW2プロデューサー
  オフィスTW2を主催し、カウンターテナー歌手の藤岡宣男のほか、
  多くの音楽家芸術家をプロデュースする。
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日本カウンターテナー協会主宰

略歴

札幌において20年間に渡り、文化教室主催、占い師として活躍する。
占い師としてはテレビ、ラジオ、新聞、雑誌とマスコミ関係で活躍する先駆けとなる。その間に、人間教育、社員教育などの講演を行い、全国でイベントに参加。 
占いの著書エッセイ集など多数出版。またペンネームにて小説を書く。 

霊感の強さから心霊学にも造詣が深く、自らも霊的所作を身につける。 
15歳でカトリックの洗礼を受けてから宗教遍歴を重ねる。18歳の時に、亀井勝一郎の著書に出会い、文学に目覚める。 宗教創立の教祖を研究。心霊学と宗教を重ね独自の宗教観を持つ。平和を祈ることを提唱し、それを実践する意味で、すべての活動を平和運動に捧げる。 

尊敬する人物は、「生命の畏敬」を唱えるシュバイツァー。無抵抗主義のガンジー。キリスト、マリアと直接会話し、宗派を超えた活動を展開したマザーテレサ。 仏陀、キリスト、空海はもとより、道元、親鸞、日蓮と日本の精神を作った宗教家を支持する。
西行、芭蕉を支持し、現代日本語の美しさを表現した川端康成を手本とする。

1981年 札幌テレビ(日本テレビ系)出演より占い活動開始。以後テレビラジオ新聞雑誌などで活動。
(北海道新聞/道新スポーツ/UHB/HTV等)
1983年 文化教室・占学会を主宰。
1984年 全道的にイベントに参加。社員教育や意識教育などの講演活動も開始。
1986年 古典着付け提唱
1987年 舞踊家元。
1988年 いけばな家元。
1990年 全国的(主に東京、新潟、福島、茨城県、福岡、滋賀県、京都、大分県、熊本、宮崎)なイベントに参加。占い新聞、書籍などの出版を開始。
1993年 茶の湯さくら流家元。
1995年 講話会を開始し「仏陀の観たもの」「歎異抄を読む」「花伝書を読む」「日本の精神」「徒然草講話会」など連続講義。
1998年 鎌倉に居を移転。鎌倉より全国に天山通信発行。
2001年 横浜に移転。オフィスTW2を開設し、クラシック関係のプロデュースを開始する。 WI LLレコード設立。WI LLレコード設立。
2002年 天山芸術文化学院開講、天山クラシックオーディション主催、天山世界平和基金発足。世界平和祈念コンサート主催。
2006年 演歌師を名乗り、その本格的活動に入る。
そして、言霊声楽家として、歌師を名乗り、日本歌曲等に挑戦する。

今までの主な執筆活動

道新スポーツ占いコーナー(六年間に渡り、新聞史上初の、占い原稿を書き続ける)

札幌タウン情報 すすきのタウン情報 三越電光掲示板 大阪心斎橋アドビジョン電光掲示板 
全国版クロスワード誌パクロス JRダイヤ 北海道新聞夕刊エッセイ 増刊週刊大衆など多数に執筆。
取材掲載は全国紙多数。

/////////エッセイ風プロフィール/////////

 私は人生を「死ぬまでの暇つぶし」と心得ている。

 古来から人生は、「借りの宿り」と形容されてきた。それは、たかだか100年にも満たない人生で、何が解るものかという意識である。この生きている人生が、すべてであるはずがないということと、一寸、旅に出たという感覚で生きることに、ある妙味があると考えたのであろう。

 だが、私は心霊学も成すものであるから、人生が、旅であると確信出来る。この世は、現象の世界であり、あの世は、実在の世界であると。しかし、これについては、今は多くを語らない。

 私は、和芸家元(いけばな・茶の湯・舞踊・着付け)を名乗り、占師であり、今は、音楽プロデューサーである。そして、小説を書き、作詞作曲をする。だが、限定されることを嫌う私は、何者でも、何様でもない。

 死ねば、50年程で完全に忘れられる存在である。その程度の人間であると、いつも考えているから、傲慢になることはない。

 私は、自分が完全なる自由を有している魂を持つものであり、この世の何物も、私を束縛することは出来ない。不自由な肉体と心と、精神を魂に張り付けて生きているということである。

 それを知って、知らない振りをして生きる。つまり、迷った振りをして生きる。そこに、生きる妙味がある。

 この時代に魂を転生させたのだから、この時代の現実との折り合いを楽しむべく、私は生きている。

 私は、今まで、一人勝手で、学んできた。哲学も宗教も、文学も、占術等々と。純粋に心の欲するところに従って、独学してきた。だから、私の学問は、何にも毒されていない。偏狭な思想の一欠けらも持ち合わせていない。その証拠に、私はキリスト教、仏教、神道の祈りを、平気で織り混ぜてすることが出来る。私は、私が咀嚼して、私に変容させて、私の器に入れてみて、そして、それを突き放して眺める。

 私の人生の主人は私であるから、何にも毒されないのである。

 具体的に私の考え方を言うと、私は、この世に、私と皆さんしかないと考える。男と女と区分けてしまうような、考え方はない。この世には、私と皆さんがいる。と、私の考え方は、すべてオリジナルである。

 私は男として生まれたが、私の中では、男も女もない。あるのは、私という人間と、皆さんという人間である。話を、もっと分かりやすくすると、私は異性愛者にも、同性愛者にも、バイセクシャルにもなれるということである。何でもありである。それは、私が自分を限定することがないからである。

 生きるというこは演じることであり、その何物でもない。何を演じるのかは、私が決める。今回の人生で、私は無限定の私を生きることにしたのである。

 この世で、確実に明確なことは、私が存在するということである。そして、その私はまた確実に死ぬ者である。死ぬ者であることを、毎日の生活の糧として、生きる。

 死ぬ者であることを、得心する私には、何一つ、恐れるものがない。

 そう、人生の最大のテーマは死ぬことなのである。この世に死と格闘して成り立たないものは一つもない。神も仏も死後の世界で逢うことが出来ても、人間の死に対しては、いっさい手だし出来ない。死ぬことこそ、私が主体的に私に成り得る最大の現実なのである。

 その死は、黙っていても死ぬというところに、秘密がある。