木村天山旅日記

  レイテ慰霊

  平成21年9月 

 

レイテ慰霊 第7話

その日は、本当に、くたびれた、疲れた。

何度も、港付近を、歩いて、子供たちと、会い、そして、ホテルの変更である。

 

もう、どこへも、行く気力なくして、ホテルの付属の、レストランに入った。

何を注文したのか、思い出せない。

日本で言えば、定食だが、あちらでは、おかずと、ご飯のみ。

50ペソ程度の、何かを食べたと、思う。

 

そして、部屋で、休んだ。

休むしかない。

初めての土地で、風土も、はじめて。

人も、はじめて。

同じ、フィリピンでも、島々によって、人の気質も違う。

 

善良な人と、悪意のある人が、はっきりと、分かれるように、思った。

ボル人と、正しく料金を提示する人である。

 

そして、意外なことに、こちらが、驚いたり、エッとした、顔をすると、すぐに、値引きするという、素直さも、また、面白い。

 

私は、八時過ぎに、早々に寝た。

 

夜中三時頃から、目覚めて、ベッドで、うつらうつらしつつ、過ごした。

 

六時前に、日本に電話をする。

実家の母である。日本時間では、七時になる。

電話をすると、安心するので、それだけである。

明日、マニラに戻るよ、じゃあね

 

そして、横浜支部である。

少し、説明して、電話を切る。

 

それから、私は、貴重品を持って、散歩に出た。

 

ホテルは、丁度街の東側で、慰霊をしたビーチに近い。

 

港とは、逆の、海である。

タクロバンは、丁度、海に突き出た、小さな半島のようである。

ビーチ側が、レイテ湾側になり、戦争時は、そのレイテ湾で、行われた。

 

このエッセイの最後に、レイテの戦いの、まとめをする。

 

朝のビーチに行く前に、私は、教会に向かった。

人のいない、教会を見て、もう一度、確認したいことがあった。

 

セントニーニョ教会は、開いていた。

聖堂の後ろから、全体を見回した。そして、その上空に、思念を・・・

比較的、軽さがあり、まずまず、安心した。

 

スペイン統治がはじまる前は、イスラムと、地場の信仰形態があった。しかし、それらは、すべて、迷信、悪魔のものとして、禁止された。

カトリックのみ、正統であるとの、支配である。

 

書くのを、忘れたが、日曜日の、慰霊の後に、教会に行ったことを、前に泊まったホテルで、ホテル経営者の、知り合いの、おばあさんに出会い、指摘された。

その方は、フロントの前で、ロザリオの祈りを唱えていた。

 

私も、それが解ったので、終わるまで、黙祷していた。

 

おばあさんが、私に、あなたは、日本の着物を来て、教会に来ましたね、私も、丁度、教会にいて、ミサに預かっていましたよと。

 

80歳である。

つまり、戦争当時は、10代である。

彼女は、言った。日本人が沢山死にました。

私は、あなたに会えて、良かったと言うと、彼女も、私もですと、言った。

 

多くを語らなくても、気持ちは、解る。

日本を憎んでいる様子は、全く無い。

私たちは、両手で、互いに、互いの体を、確認するような形になった。

 

最後に何を言ったのかは、忘れた。

兎に角、心温まるひと時だった。

 

レイテ島は、日本軍と、その後の、アメリカの支配で、翻弄され過ぎたといえる。

だから、今の、タクロバンの、富裕層は、中華である。

これ以上は、書くことを、遠慮しておく。

 

さて、ビーチに向かった。

柵があり、入る場所が、解らない。すると、小屋にいた、男が、教えてくれた。

言葉は、解らないが、指差す方を見ると、よいのだ。

 

英語ではなく、タガログ語であり、それも、地域によって、違ってくる。

タガログ語は、全く解らない。

 

海に出た。

美しい。

 

こんなところで、命懸けで、戦った・・・

 

黙祷

 

更に、海岸線を歩くと、海の家的な、小屋があり、そこに、少年たちがいた。

モーニングと言うと、答えた。

彼らの、傍に行った。

三人がいた。

二人の、少年は、寝ていた。何と、テーブルの上と、店先の、棚の上である。

 

一人の少年と、話した。

13歳になる、ジョジョという名の少年である。

五人の中で、一番年下だった。

 

英語とタガログ語で、早口である。

 

ここで、五人で暮らしている。皆、フレンドだと、言う。

つまり、ストリートチルドレンである。

ジョジョは、五人兄弟の末っ子だった。他の兄弟も、タクロバンに暮らす。

 

私の持っていた、タバコを一本と言うので、差し出すと、慣れた手つきで、火を尽けて、吸い始めた。

 

私も、火をつけた。

二人の少年は、欲しがらない。

16,17,18歳である。

 

ジョジョは、年のよりマセていた。

英語が、通じたので、幸いである。

色々な話を聞いたが、ここで書けることと、書けないことがある。

 

女は、必要かと、ポン引きのおじさんのようにことを言う。

ノー、アイライク ボーイよ

すると、ジョジョは、大声で笑った。

 

俺は駄目だよ、でも、あいつなら、いいよ

そのあいつと言われた、少年が、起きてきた。

そして、テーブルに、つっぷする。眠たいのか・・・

 

店にある、水の一本を買った。一人の少年が渡してくれる。

ハウマッチ

フィフティ

これが、解らない。語尾が上がれば、15だが、下がれば50である。

私には、どうしても、下がるように聞こえる。

 

50って、高いと、日本語で言い、50ペソを出すと、受け取らない。

フィティでしょ あれっ ティーンなの

それで、15ペソを出すと、受け取った。

 

あのまま、50ペソを受け取られていたら、知らずにいたが、少年は、お釣りがないせいか、受け取らなかったのだ。

 

つっぷした、少年に、タバコいると、聞くと、ノーといい、口に指をもってゆく。食べ物が欲しいサインである。それで、顔色悪く、つっぷしていたのだと、解る。

 

オッケー、皆で、食べに行こうと、言うと、ジョジョが、近くあるから、行こうと、言う。

五人の少年たちを連れて、元の道を、戻った。