バリ島活動報告 平成19年4月11日〜17日


 夕食会をひらいてくれたお礼に、木村が日本の歌を披露しました。万葉集から大伴家持つくるうたの朗詠、「海は広いな大きいな〜」と童謡など歌うと、家族は真剣にききいっていました。
 じつはバリの小学校では英語か日本語のどちらかを選んで習うそうで、日本語の授業では「大きなくりの木の下で」など歌うということ。この家で一番小さな男の子は学校で習ってきたその歌を、意味もわからないはずなのに、家の大きな木の下で歌うそうです。歌心は言葉をこえて伝わるのでしょうか。
 こうした家族との付き合いから、少しずつバリの宗教について学んでいきました。驚いたことに、バリ・ヒンドゥーには日本の神道と通じる自然崇拝の感覚があるのです。「日本とバリの宗教観は同じだ、日本では神道と仏教の両方やるだろう、バリでもヒンドゥーと仏教と両方やるんだ」という人もいるくらい。
 明けて翌日はたまたまバリの四大祭のひとつといわれる、サラスワティーの祭典にあたり、木村と同行者の野中はバリの正装をしてプラ(バリ・ヒンドゥーの寺院)に参拝することに。思いがけない展開ですが、バリを深く知るよいチャンスなので、気を入れてのぞみました。

 プラには住職がいて、訪れるすべての人のために祝詞をささげます。私たちのためにもお祈りしてくれました。白い服を着た聖職者が手にしているのは聖水、竹炭をいれたかめに水を張って長い間寝かせてつくるという。日本にもって帰った人が、四年の間腐らなかったという驚くべき話を伝えています。
 バリ・ヒンドゥーの聖地、アグン山にはいわゆるご神体のようなものが何もないそうで、日本の古神道の形態にとても近いと思われます。古神道でも、ことさら何かをまつるということは本来やりません。つまり、バリ・ヒンドゥーの寺院は、寺といっても日本仏教の寺とはまったく異なるということ。
 お祭りの最中にとつぜん雨が降ってきました。バリでお祭りのときに雨が降ると「自然がマンディ(沐浴)した」といって縁起のよいこととされるようです。 

 女性たちのひたむきな祈りの声をききながら、さて日本にはこんな崇高なものは残っているかな、という思いにとらわれます。
 葬式、法事といっては僧侶に大金を渡し、仏壇の大きさ豪華さを競い合い、先祖の土地は売り払って省みない日本の宗教界は、バリの足元にもおよびません。
 バリにあこがれて観光にくる日本人の数が天文学的数字にのぼるのも、このあたりに遠因がありそうです。
 バリから日本の霊的な目覚めの起きることを願い、報告の締めとさせていただきます。                

 平成19年 6月25日 


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