今回の旅の、顛末も、これで終わる。
夜中の一時過ぎに、空港に着いた。
まだ、チェックインまで三時間ある。一階の、ロビーに降りた。
24時間体制の空港である。
煌々と明かりが、眩しい、空港内である。
野中は、疲れで、ベンチで寝ていた。
私は、一階に出来た、空港で働く人たちの、食堂に入った。
色々な店がある。屋台である。
まず、入り口で、チケットを買う。しかし、幾ら買えばいいのか、解らないので、店を見に回る。
麺類を選んで、その料金を見る。
45バーツの、ラーメンに似たものにした。
入り口に戻り、45バーツのチケットを買う。それを持って、店に行き、チケットを出して、丼を指差した。
女の店員は、すぐに、目の前で作ってくれる。
それを、持って席を探した。
深夜であるが、結構な人がいる。
味は、薄い。要するに、自分好みの味にして食べるように、調味料が、置かれてある。
しかし、私は、そのまま、食べた。
日本のラーメンの半分の量である。
食べ終わり、そのまま、外に出て、タバコをふかした。
今度は、あの、若者はいない。
野中の所に戻り、私も、椅子に横になった。
少しうとうとするが、眠られるものではない。
何度も、トイレに立った。そして、何度も、タバコを吸うために、外に出た。
警備員、職員の人と、何度も顔を遭わせているちに、挨拶するようになった。
これで、言葉が出来れば、もっと、コミニケーションが取れるのにと、思いつつ、タイ語は、難しいと、諦める。
一度は、挑戦したが、兎に角、頭が悪いので、覚えられない。暮らすと、覚えると、言い聞かせて、いずれ、暮らしてやると、思う。
3:30、掲示板を見ると、チェックインが、開始された。
私は、野中を起こして、荷物をカートに入れて、いざ、と、エレベーターに向かった。
四階が、出発ロビーである。
すでに、他のお客さんが、並んでいた。
アメリカの飛行機会社は、検査が、厳しい。
いつもと、同じことを、尋ねられる。
荷物を預けて、出国手続きをする。
そして、搭乗口に向かう。
時間があるので、アイスクリームを食べることにした。
矢張り、館内は、森閑としている。
いつもの、店に立ち寄る。
いつもの、アイスクリームを注文する。
そこで、少し時間を潰す。
それじゃあ、行くかと、立ち上がり、向かいに出来た、新しい店を見て、アラ、アイスクリームの値段、こっちが、安いよと、大声で、言う。
これ、おばんさん化である。
今度は、こっちにしようと、野中に言いつつ、歩く。
再び、手荷物検査である。
搭乗口に入る前に、再度、検査がある。
そして、更に、搭乗口の部屋に入る前に、もう一度、検査である。
だんだんと、苛立ってくる。
何度、みせりゃあいいんだと、怒鳴りたくなるのを、我慢する。
液体物云々である。
アメリカの会社は、実に、丁寧に調べる。
中には、鞄の中を、すべて曝け出して見せている人もいる。
実は、来る時、係官に、鞄の中に液体物は、ありますかと、尋ねられて、あるかもしれないし、無いかもしれないと、言った。
出して下さいと、言うので、どこにあるか、解らないと言うと、見せてくださいと、言う。
鞄を開けて、少し、洗顔用具の液体を出す。
これだけですか。
袋に入れてください。
無い。
すると、係官は、袋を持って来た。
悪いと、思いつつ、時間を引き延ばした。
しかし、さずかに、引き下がらない。
結局、液体物は、それだけである。
野中が、それを見ていて、もう、機内に持ち込まないで、預ける荷物に入れてよー、と言う。
そうすることにした。
私の好きな、ガルーダーインドネシアは、アメリカから、危ない会社に指定されていた。
だが、私は、検査が少なくて、大好きなのだ。
落ちたら、死ぬだけでしょう。
テロに遭って、落ちる。いいねー、そんな風に、死にたいよー
また、その評判があるのか、客が少ない。
それで、私は、座席を占領して、ぐっすり、眠られるのだ。
機内に入り、扉が閉まるのを、待つ。
出発準備が整いました。という、アナウンスを聞くと、すぐに、周囲を見渡し、開いている座席を探す。
四席空いていると、すぐに、そちらに移る。
そうすると、体を横にして、眠られる。
今回も、空いていた。
すぐに移り、席を確保して、安心である。
矢張り、食事の時以外は、眠っていた。
飛行機の、揺れが、眠りを誘う。
10年ほど、飛行機に乗られない時期があった。
パニック障害である。
これには、色々と説明がいるが、省略する。
入国を済ませて、荷物を引き取ると、すぐに、バスのチケットを買う。
15分ごとの、バスであるから、便利である。
それで、横浜に到着して、旅が終わる。
二週間後は、オーストラリアである。
そして、それが、終わると、10月後半まで、日本にいる。
10月後半は、再び、タイに、10日間の、旅をする。
次は、ゴールデントライアングルの、追悼慰霊をする。そして、ビルマのタチレクに入り、再び、追悼慰霊をして、子供服支援をする。
ただ、小西さんから、子供たちに、お金を上げることは、止めた方がいいと、言われた。それは、背後に、大人がいるということである。
ストリートチルドレンを使い、金を集める者もいるのである。
物乞いする、彼らに、商売を教えようと思ったが、浅はかだった。
物資が、一番である。それも、彼らが着る物である。
さらに、沢山上げても、大人に取られることもあるという。
支援というのは、大変なことである。
その背景にあるものを、把握して、考えてやらなければ、ならない。
またまた、勉強になった、旅である。
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