木村天山旅日


 

  バリ島再考の旅
  
平成21年
  2月
 

 第1話

私が、はじめて、バリ島に出掛けたのは、15年前である。

その時、強引に誘ってくれたのが、当時、お弟子さんであり、現在のテラハウスの建設中だった、女性である。

 

当時は、パニック障害という、病名のない時代で、私のそれは、パニック障害であることが、後で解る。

乗り物に乗るという行為が、とても、大変なことだった。

閉所恐怖というものも、つく。

 

長時間、飛行機などには、乗れないという、状態だった。

だが、その数年前は、国内を飛行機で、飛び回っていたから、不思議だった。

 

パニック障害には、根底に、欝があると、言われる。

抑鬱状態である。

活動的だった、私の底には、抑鬱が、宿っていたと、共に、それは、何か生まれつきの性格のようなものでもあると、思われる。

 

しかし、兎に角、バリ島ツアーに、強引に申し込むということになって、ついに、当日である。

不安感一杯で、グアムまでの、飛行機に乗る。

千歳空港から、バリ島まで、グアム乗り継ぎだった。

 

グアムまでは、不安感で、具合が悪い。

だが、一緒に出掛けた、もう一人の男性が、ビジネスクラスの席を取っていて、私に、譲ってくれた。

それで、少しは、助かった。

 

グアムに着いて、一度、飛行機を降りいると、晴れるように、私の不安感が、消えた。

それは、暑さである。

 

道産子の、私は、寒いのが、当たり前だったが、信じられないことだったが、暑いということが、救いになった。

暑いって、いいと、感じたのだ。

 

それから、南の国が、好きになった。

 

15年前のバリ島は、丁度、観光地への道まっしぐらの、時代である。

だだ、今の、クタ、レギャン地区という、観光地は、道路なども、整備されていない状態で、歩道など、下を見て、歩かないと、下水道の穴に、落ちてしまう状態だった。

 

それでも、私は、バリ島を好きになった。

それから、翌年の、二月、一番寒い時期に、バリ島に出掛けて、更に、好きになった。

その時の、旅は、単なる、観光旅行である。しかし、通常の、観光地巡りをするものではない。

ホテルで、過ごす時間を多くして、観光は、一日のみ。

のんびりと、過ごすことで、十分だった。

 

それから、バリ島との、付き合いが始まる。

 

その後、一人で、タイ、上海に出掛けてみた。

その、上海の旅で、本格的に、パニック障害を、発症した。

上海の四泊五日の旅をする前日から、風邪を引いて、熱が、38度だった。それでも、私は、一人で出掛けた。

風邪の熱と、風邪薬のせいで、成田に行く飛行機の中で、パニックの発作に、襲われた。

死ぬかと思うほど、苦しいもので、上海行きを止める、止めないで、悩みつつ、羽田から、成田への、バスに乗った。

 

成田で、出国手続きをした後も、熱を計り、止めようか、どうしようかと、迷っていた。

実は、この旅も、お弟子さんの一人が、協力してくれて、上海で、お弟子さんの友人などと、逢い、また、その紹介で、蘇州に、案内してくれる、ラオス人の留学生を紹介してもらっていた。

 

そんなこともあり、結局、飛行機に乗った。

軽い安定剤を、持参していたが、あまり、効かなかった。

 

風邪の熱と、不安感で、必死の決行である。

 

それが、長く、パニック障害を引き起こした原因にもなった。

当時は、不安神経症という、病名である。

 

それから、10年ほど、飛行機には、乗れなくなった。

 

その、変転は、省略することにする。

 

三年前の、サイパン追悼慰霊から、今までの、負を取り除くかのように、海外に出ることになった。

 

国内線は、すでに、乗れるようになっていた。

それは、薬のお蔭である。

良質な薬が出て、私は、回復したといえるし、緩和したとも、言える。

ただし、疲労が酷いときは、危ない。

 

あまり、ハードなスケジュールは、パニックを引き起こす。

一度、タイの国内線で、それに似た状態になり、決して、無理をしないようにした。

 

さて、今回は、バリ島に関して、再考する旅になった。

 

バリ島を、考える旅である。

それは、バリ島に、長期滞在するという、前提の元に、バリ島を、見回してみたことも、一つであり、支援活動をして、更に、バリ島というものを、見つめることが出来たのである。

 

一週間程度の、旅で、バリ島観光を楽しむというなら、問題はない。しかし、バリ島にて、何かを行うという目で、バリ島を見つめた時、感じなかったこと、ものに、非常に敏感に、反応した。

 

そこには、バリ島、及び、インドネシアという、歴史も、関わってくる。

そして、バリ島独自の伝統と、信仰、生活と、一体になっている、お祭りである。

更に、バリ島の政治経済と、現地の人の、有様である。

 

そこには、インドネシアという、政治経済も、見る必要がある。

果たして、バリ島とは、何か。

 

私は、神々の島といわれるバリ島に悪霊の存在も、見た。

いや、悪霊の方が多いのである。

 

そして、神と悪霊とが、一体になり、裏と表のようにあることも、である。

 

精霊信仰という名の元に、悪霊信仰にも、成り得るものも、見たのである。

更に、バリ島の、文化は、今も、創られ続けていること。

それは、多様性であり、文化という言葉より、芸能という、日本の芸能に近いものであり、日本よりも、その懐が、深く、広いものである。

 

だが、それが、命取りになる場合もある。

 

意識拡大は、狂いを生じることもある。

 

収集がつかなくなり、分裂する。

それが、精神に影響すると、分裂症になる。

 

ぎりぎりのところで、それを、抑えているものは、何か。

 

ヒンドゥーという、多神教的影響を、多く受けて、今でも、新しい神が誕生する、バリ島という、場所は、深入りするには、非常に、危険である。

 

霊的に、振り回されると、多重人格症状を、引き起こすのである。

 

お金は、不浄なものである。

お金を、求めては、いけない。しかし、お金がなければ、学校も行けない。良い仕事にもも、就けない。

大きな、矛盾である。

 

給料が、安い。しかし、お金を、欲しいと、思うことは、不浄である。

だが、それでは、生活が、出来ない。

 

このような、矛盾に、解決の道は無い。

逆に、それを、逆手にとって、平然と、搾取して、憚らないバリ人もいる。

その根底には、インド、ヒンドゥーの、緩やかなカースト制が、今も、続いているということでもある。

 

多重支配を、受けているのが、バリ島の現地の人である。

カーストが、低いと、それだけ、その足枷が、大きい。

 

それは、目に見えない形で、バリ島を、覆っている。

 

神々の島を、後で、操るものは、悪霊の存在であったという、私の、バリ島再考である。