木村天山旅日記

  何故バリ島か
  
平成21年5月 

 

第6話 

クタのホテルに到着して、運転手に、料金を払う。

 

私は、20万ルピアを出した。

おつりを出そうとしたので、いいです、と言った。

コータが、あなたは、誠実で良い人なので、チップですと、言った。

運転手は、神妙な顔で、頷いた。

 

次の時に、サヌールの、民家の中に連れて行って欲しいと言うと、大きく頷く。

 

もう、私たちの、目的が、彼には明確に、解ったのである。

 

時間は、夕方であった。

 

しばし、部屋で休むことにする。

 

後は、本日の夜に、コータが、約束した、ストリートチルドレンに、衣服を渡すことである。

彼らが、出て来るのは、七時過ぎなので、それまで、部屋にいた。

 

彼らが出て来る通りに、出て、食事をしてもいいと、私は思った。

食事が先か、食事が後か。

そんなことを、考えて、タバコをふかす。

 

インドネシアは、太平洋戦争時に、日本の統治下にあった。

であるから、色々な島々に、戦禍が残る。

バリ島も、一時期、統治下にあり、その犠牲は、食料調達による、食料不足だった。

 

ウブドゥの農民は、奴隷のように扱われて、海辺まで、米を運ばされた。

 

反抗する者は、暴力を受けた。

刀の傷跡が、残っていた老人も、いたという。

 

その一つ一つを、拾い上げて、記録するものはない。

皆々、忘れたい思いである。

 

戦争。

平和を、考えるためには、戦争を、理解しなければならない。

何も、攻撃を受けて、死んだという、ことだけではない。

島の人々の生活を、激変させたのである。

 

私は、インドネシアの島々を、追悼慰霊のために、回る予定である。

 

忘れ去られた、犠牲者の追悼慰霊を、進んで行う。

今年は、敗戦から、64年を迎える。

もし、64年に渡って、未だに、戦争の様のままにある、霊位がいるならば、それは、実に、哀れなことである。

 

私は、日本の伝統にある、言霊、音霊によって、ただ、清め祓いをするのみ。

想念の浄化である。

それは、僭越行為ではない。

 

皇祖皇宗、天照る神の、つまり、日本の祖先の総称により、霊位を覚醒させるのである。

 

そして、戻られることを、祈る。

 

簡単に言えば、戦争は、終わりました。

本当に、ご苦労様でした。

どうぞ、故郷、また、靖国に、お戻り下さい。

いや、母の元に、お戻り下さいと、黙祷するだけである。

 

パプア・イリアンジャヤの、上にあるビアッ島では、二万以上の日本兵が、出掛けて、帰った者は、600名程であり、アメリカ兵も、多くの犠牲を出した、太平洋戦争での、無駄な戦いと、いわれた、激戦地がある。

 

その他、パラオの、ペリリュー島戦地で、戦った、元アメリカ兵士の手記を読んでいる。

時々、読むのを止めなければならない、程、辛いものである。

 

いずれ、紹介することにするが、歴史の彼方に消えてしまうのでは、あまりに、彼らの死が、空しい。

 

バリ島は、きっかけである。

 

只今は、イスラムが、席巻しているのが、インドネシアである。

バリ島だけは、バリヒンドゥーという、特別地区である。

 

インドネシアの、イスラム指導者は、イスラム教の教えの強化を計っている。

実は、テロ行為に参加する者、インドネシアから、多く出る。

インドネシアの若者が、聖戦、ジハードに参加しているのである。

 

更に、インドネシアは、軍事政権である。

一見、そのようには、見えないが、確実に、言論統制する、軍事政権なのである。

 

ジャワ島、スラバヤから、日本に留学した、学生と、親交を結んだことがある。

その時、インドネシアの政権の、言論統制の様を、聞いた。

 

留学生同士でも、密告する者があるので、政権の批判は、出来ないというものだった。

更に、彼の父親は、反政権派であり、時々、拘束されるという。

 

彼の目標は、政権に遠い、日本の企業に勤めたいということだった。

 

更に、驚くべきは、首都、ジャカルタは、世界最大のスラムがある。

何故、そのように事態になるのか。

 

一部支配層が、経済を、掌握しているからである。

支配層とは、政治家たちであり、その親族たちである。

 

これ以上は、危険であるから、書かない。

 

女漁りの、旅ガイドなどを、のうのうと、書いている者もいるが、愚劣の一言。

貧しい国の、女を漁りに出掛ける男達の、呆れた行状は、どこにでもある。

 

勿論、貧しい国の女達は、生きるために、逞しく、その、体を使って、外貨を稼ぐこと、否定は、しないし、それも、方法であると、考える。

ただし、許せないのは、児童買春である。

 

貧しい国の子供達は、その危険にいつも、晒されている。

 

ストリートチルドレンを見ていると、女の子は、ある年齢になると、姿が、無くなる。

前回出掛けた時は、いたはずの、女の子が、いなくなっている。

 

そういうことが、多々ある。

 

インドネシアの、追悼慰霊と、衣服支援が、バリ島から、始まったことが、私の幸いであった。

 

漸く、イスラム国家の、島々に、出掛ける、心の準備が出来た。

 

私は言う。

日本には、宗教は、無い。

日本には、伝統があるのみ。

 

宗教の争いほど、愚かしいものはない。

 

日本は、このように、死者に対座する、伝統行為があり、私は、それを、行っている。

それは、宗教行為ではない。

そのように、私は、説明する。

 

つまり、日本人には、異教徒という、観念がない。

すべての、宗教行為を、尊重する。

教えによって、戦う観念は無いのである。

 

日本人の、この感性が、世界の平和に寄与するのである。

それを、大和心、やまとこころ、と言う。

 

大いなる和の心である。

ひらがなにする。

 

おおいなる やわらぎの こころ

である。

 

本来の、大和魂とは、それを言うものである。

 

誤った観念を持つな。

天照る、太陽を、祖先の総称とする、民族は、すべての民族を、包括するのである。