フィリピン

 ダバオ戦没者追悼慰霊 2


   平成25年5月19日  

  Memorial Act for War Victim of W.W.II Page 2  

  Davao Philippines
  
16.May.2013
     

 

ダバオ慰霊です。

ダバオは、戦時中、大本営と南方軍の作戦により、開戦当初から、占領目的地とされた場所です。

米比軍の反攻がはじまってから、日本軍はジャングルに敗走しました。

多くの将兵、また民間人が亡くなりました。

右の写真は、皇紀2600年に建てられた、最初の入植先亡者慰霊碑です。


いこいに来ていた、現地の方々と


沖縄人の入植者も多かったのだろう.女の子たちの、格好の腰かけ椅子になっていた


ミンタルの墓地を辞し、日本軍のつくったトンネル跡を訪ねた


1960年代に発見された.非常に入り組んだトンネルである.重機類もなく、つるはしで掘って言った苦労がしのばれる


この奥は、アポ山麓までつづいているという.車で4時間かかる距離である


水場もあり、天井から水滴がおちていた.どことなく不気味な雰囲気


現在、この旧日本軍のトンネルは、現地人のツアースポットになっている.財宝伝説も絡んで、ロマンをかき立てるのだろう

v
およそ4時間半の慰霊の旅を終え、さいごに御幣を川に流す


この川はそのまま湾に注いでいる.さいごの祈りには、格好のスポットだった


英霊の御霊が日本へ帰るように、祈りをこめて御幣を投げる


フィリピンとしては清流といえる河口に、御幣はしばらく漂っていた

v
こうしてさまざまな思いは海へ帰ってほしい.新しい日本とフィリピンの未来のために.

 木村主宰の念願であった、ダバオ慰霊は、無事に済みました。

 厳しい暑さのなか、エアコンのない車の旅は、体力を使いました。

 さて、ダバオを去り、休む間

もなく、セブ市へと向かいました。

つづき→☆☆☆

 

テラの会活動報告