<<TOP

ある物語 48 

ある物語

1 2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 32
33 34 35 36 37 38
39 40 41 42 43 44
45 46 47 48 49 50
51 52  53  54 55 56
57 58 59 60 61 62 63
64 65 66 67 68

論文集

お問い合わせ

<< ...29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 >>
第四八話


2001年、夏である。
八月・・・
 
東京で、二度リサイタルを開催する。
実に精力的である。
 
今では、遠い夏である。
その暑さも忘れた。
 
鎌倉での、初リサイタルから半年が過ぎた。
走り出したら、止まらないのである。
 
最初は、リュートソングのリサイタル。
東京の有名どころの、小ホールを使う。
そして、アメリカンポピュラーソングのリサイタル。
それは、個人所有の有名建築家のデザインしたホール。
 
その後、リュートソングのリサイタルは、鎌倉、札幌と開催する。
 
ジャズピアニストによる、ポピュラーソングのリサイタルでは、多くの人が来場した。
私も、知らない顔ばかりである。
 
藤岡の知り合いが、その知り合いを連れて来るというものだった。
そして、それがきっかけで、大きな舞台、りぼんの騎士のミュージカルに出演することになるのだ。
 
勿論、その時は、全く想像もしていないこと。
 
何人かに、名刺を渡されていた。
皆、はじめての人である。
 
よく解らないのである。
 
その際も、私は、一人で舞台裏を切り盛りした。
何でもやった。
受付から、照明、アナウンス、扉の開け閉め・・・
 
知らない者の、強みである。
平然として、こなしていた。
 
藤岡も、それに対して、何も言わないので、解らなかった。
実際、コンサートには、多くの人が関わるのである。
それは、後で知る。
 
兎に角、無我夢中である。
 
夏の着物、絽を着て、受付をしたり、裏側を走った。
冷房が利いているが、汗だくである。
 
更には、一年前までは、こんな姿を想像もしない。
何が、私をこのようにしたのか・・・
ただ、藤岡の歌声である。
 
一人の人間を動かすほどの歌声である。
 
芸というものは、凄まじいものである。
人間を変える。変容させる。
 
和芸に通じていた故かも知れないと思う。
 
茶の湯、いけばな、舞踊、その他諸々である。
音楽では、長唄、三味線、琴など・・・
だが、和芸でも、音楽は教えていない。
とうてい、無理なことは、承知していた。
それは、幼児の頃から習うべしと、思っていた。
 
だから、和芸の音楽は、舞踊に生かす、その他の和芸に生かすということだった。
 
八月が過ぎると、九月。
鎌倉の教会で、リュートソングのリサイタルである。
 
馴染みの鎌倉である。
とても響きの良い、プロテスタントの教会だった。
そこは、会場費が謝礼で済む。それも、助かった。
 
季節は、巡る。
どんどんと、季節が去ってゆく。
 
デビューに遅いが、藤岡は行けると思った。
そして、クラシックの世界を抜けて行く・・・・
そう、願った。
ただし、その時までは、クラシックの世界での活動と思っていたのである。
 
知る人ぞ知る歌い手である。
 
秋風といっても、それを感じるのは、十月の後半からである。
まだ、北海道の感覚の私には、とても、それが新鮮だった。
まだ、暑いのである。
 
人生は、物語のようなものであると、今にして、思う。
物語は、自分で作る。
誰も、それを作ってくれないのである。
 
その時の私は、藤岡と共に作る人生だった。
そのような関係を初めて知った。
 
同行者である。
配偶者ではない。
そういうことが、人生にはあるのだ。
 
そして、私は、お金を注ぎ込んだ。
全く、悔いが無いのである。
本望だった。
 
私が、公演をするより、藤岡が歌えば、一度に、何万人もの人を感動させる。
それが、私の言い分だった。
 
そういう人に出会ったことは、今でも、私の誇りである。
 


<< ...29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 >>