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ある物語 2 

ある物語

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第二話

子供時代の風景は、その人の心の原風景となる。
 
藤岡は、物心ついた時から、椅子の上に立ち、歌っていたと言う。
更に、レコードプレイヤーがなかったから、ダンボールでそれを作り、レコードも紙で作って、それを回しつつ、歌を歌ったと言うから、楽しい。
 
子供の発想は実に楽しい。
 
そして、興味を持ったのは、語学である。
小学生の頃から、NHKの放送で中国語講座を見て学んでいたというから、また楽しい。
そのテキストも、一ヶ月一冊の本を買える日があるので、その時に買った。
 
お小遣いは、母から貰う。
その母の残した、お年玉の袋が大量に見つかった。
そこには、ママの大好きなのぶおちゃん・・・大切なのぶおちゃん・・・
と、書かれてあり、私は、しばしそれを見て、絶句した。
 
料理の下手な母親の元でも、幸せで楽しい暮らしがあった。
それが、藤岡の救いである。
 
心の原風景を持つ事が出来たのである。
 
勉強が大好きだった。
また、それに拍車を掛けるように、母が言う。
父親がいないから駄目なんだ・・・そんなことを言われないようにしないと・・・
しっかりせんと、いけんよ
 
それに藤岡は、応えた。
小学生の時から、注目されるほどの成績だった。
 
幼稚園から、小学校の家庭訪問で来る先生は、皆一様に、どのようしてこんな立派なお子さんになるように教育したのですかと、母親に尋ねたと聞いた。
 
子供の頃の、プレッシャーも楽しく受け止めることができる。
ただし、ある程度の年齢までだ。
 
プレッシャーに押し潰されてしまう子もいる。
 
そして、ピアノの練習である。
それも、実に楽しく続けることができた。
 
六条一間の部屋に、アップライトピアノは、大変な置物になっただろうと思う。
だが、それが親子の励みになる。
 
母は、高齢で藤岡宣男を産んでいる。
だから、丁度その後は、更年期障害のはじまる時期。
兎に角、厳しい母だったと聞いた。
 
叱られて、部屋の玄関の前に立たされたこともあったという。
 
ある時、一人でカップ麺を食べた。
その汁をテーブルに掛けてしまった時、母に殺されるのではないかと、恐れた。
母が帰ってきて、大声で泣いた。
 
どうしたんじゃ、と母。
汚したから・・・
と、泣く。
 
藤岡の母は、藤岡に料理などのことは、一切教えなかった。自分も好きではなかったせいもある。
だがら、卵の割り方も知らず、友達の家で、すき焼きをご馳走になったときに、卵の割り方を知らず、テーブルに叩きつけてしまったこともある。
 
だから、藤岡のご馳走は、どこかのデパートで買うハンバーグだった。
それがあれば、ご飯を何杯もお替りして、食べた。
兎に角、子供の頃は腹が空く。
その腹を満たす事ができた藤岡は、幸せだった。
 
そして、一ヶ月に一度、ステーキの日があった。
そのステーキは、とても固くて、何かの皮を食べているような感じだったという。
 
それで、本当のステーキを食べた時、はじめてステーキの美味しさを知ったと言う。
それは、中学受験の時である。
一緒に受験した友達の父親が、藤岡にステーキをご馳走してくれた。
ステーキがこんなに美味しいものだったのかと、家に帰って、母に詳しく説明したという。
 
あれは、何だったの・・・
しかし、母もよく解らない。
 
藤岡が社会人になった時、美味しいものは、外で食べてきなさいと、母が言ったという。
それでも藤岡は、母の炊くご飯が一番美味しいと言った。
 
藤岡の母は、炊飯ジャーを使わず、鍋で米を炊いた。
それは、後半になっても、そうだった。
 
中学生になると、生徒会長を務めた。
小学校の時も、皆より抜きん出て、注目を集めていたようである。
 
みんなの前で、話しをする時、突然指名されても、スラスラと言葉が出てきたと言う。
実に優秀な生徒だった。
 
だが、高校受験がはじまる頃は、ピアノのレッスンと勉強で時間がなく、生徒会長は出来ないと、職員室で先生の前で泣いて、頼んだと言う。
 
その頃から、藤岡は自分にかかるストレスを抱えたと思える。
周囲の期待と、母からの期待、そして、自分自身に対する期待が大きく膨らんだ。
 
夕飯を食べて少し寝て、深夜勉強を続けるという、生活がはじまった。
 
ところで、藤岡の母は、藤岡の思い出のものを、すべて保管していたことに驚く。私の手元には、何から何まで残っている。
 
計画的・・・
藤岡は、実に計画的で几帳面だったことが、残されたもので、よく解るのである。
 
勉強するのが楽しかったという、私などとは違う、理想的な子供時代を過ごしたのだ。
 
私は、中学一年の一学期まで、成績がよかったが、それからは一切勉強せず、宗教の本ばかりを読んでいた。
人それぞれ違うのである。
全くもって、人の違いは、面白い。
 
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