第二六話
演奏暦を見る。
初リサイタルの2001年の、前年、2000年の9月、10月、11月、12月と、それぞれ、オーディションに合格した、団体のコンサートに出演している。
そして、12月のコンサートで、初リサイタルの誘いがあった。
伴奏ピアニストからの、紹介である。
場所は、鎌倉。
また、夏以降から、藤岡はよく出掛けていた。
東京である。
ある作曲家との出会い。
ある団体の代表との出会い。
それらも、伴奏ピアニストの紹介からである。
それが、次第に藤岡に運を与えてくれた。
伴奏ピアニストは色々といた。
そして、2001年からの予定が、どんどんと埋まるようになるのである。
仕事が決まる度に、二人で喜んだ。
兎に角、嬉しいのである。
勿論、その頃も、私は藤岡の仕事、歌の世界とは、関わることがなかったが、藤岡の夢が叶うと思うと、我がことのように喜んだ。
その何も見えなかった頃の、夏の一夜を思い出す。
深夜になり、藤岡が部屋に戻る時、私も一緒に着いて部屋を出た。
そして、八幡宮に行こうと誘った。
深夜であるから、誰もいない。
神殿の下、つまり階段の前には、縄が張ってある。
夜には、神殿に上がれないのである。
その縄の前で、藤岡を横に、私は初めて祝詞を唱えた。
何かを願うために、そんなことをしたことがなかった。
更に、藤岡は、祝詞など初めて聞いたであろう。
あんたは、黙っていなさい・・・
私は、一人で、ある所作を始めた。
ここに、神がいるならば・・・
勿論、いない。
しかし、ここに神がいるならば・・・
ただ、藤岡のために、祈りたかった。
最後に、一緒に礼をするよ・・・
藤岡は、素直に従う。
終わって、木村さんは、どうしてあんなに長い文句を覚えられるの・・・
でも、英語は、全然覚えないのに・・・
藤岡を部屋まで送り、私は自分の部屋に戻った。
せめてもの、私の心である。
何とか・・・
だが、今は言う。
神という存在は、無い。
あるのは、霊である。
その霊が、神として奉られる。
確かに、霊位は存在するが、神と呼べるものは存在しない。
だから、霊を神と呼んでいるというなら、納得する。
神も霊なのである。
八百万の神というものは、本当である。
唯一の霊というものは、存在しない。
すべて霊であるから、それを、多くの神というなら納得する。
さて、2001年からの演奏暦を見ると、毎月リサイタル、コンサートを開催している。
依頼されたもの、開催したもの・・・
何かに憑かれたかのように、独走したのである。
一月に、ある地方の小さなサロンにてのコンサートに出演した。
忘れられない思い出である。
夜、鎌国に戻った藤岡は、すぐに私の部屋に来た。
そして、すぐに取り出した物、ギャラだった。
それを、私に差し出した。
どうして・・・
木村さんに、渡したいから・・・
ありがとう・・・
藤岡が言う。
それを思い出すと、私は胸が一杯になる。
ありがとう・・・
その言葉に込められた、藤岡の思い。
私は、生涯忘れない。
藤岡と、大喧嘩し、更に慰め、励まし、思案して三年間を過ごした。
私には、何も進展がなかった。
それでも、何となく藤岡のことで心が一杯になっていた。
自分のことは、後回しでいいと思った。
だが、藤岡は、私に東京から電話が来ると、聞き耳を立てて、仕事の話と、聞いてくるほどに気に掛けていた。
私の喜びが藤岡の喜びでもあった。
そして、その逆も。
二人しかいない・・・
解るのは、一人だけである。
だが、私は、それでも藤岡の歌に関わるとは、知らなかったのである。