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ある物語 42 

ある物語

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論文集

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第四二話


東京駅から新幹線で、新潟に向かう。
ピアニストは、現地の会場で会うことにした。
 
私たちの方が、早く出たと思う。
夜の公演であるから、一泊することにした。
ホテルは紹介された、橋の近くのホテルで、ホールに近い場所である。
 
最初に、主催者の代表の方のお店に出向いた。
藤岡は、大半の人から好かれるので安心だった。
 
そのお店で少し休憩して、一度ホテルにチェックインすることにした。
 
チケットは、おおよそ売れていた。
そのグループの従業員たちが、皆さん来るという。
その他は、皆さんの手売りとのことで、本当に感謝した。
 
ホテルに入っても、藤岡はコンサート前には眠らない。
すぐに、発声の体操をはじめた。
カエル体操である。
 
カエルの姿になって、ベッドにうつ伏せになる。
いつも、木村さんも一緒にするといいと言われていた。
体にもいいという。
 
時々、私も付き合って、それをすることはあったが、体操が苦手で、続かないのである。
 
開演一時間前にホールに着いて、ピアニストと合流し、藤岡はリハーサルを開始した。
私は受付を準備する。
すると、皆さんが続々とやって来た。
 
受付を手伝うというのである。
皆さんは、社長であるから、大変なことである。
 
私は、リハーサルも聴くことにする。
 
受付は、皆さんに任せて安心だった。
何せ、お客さんの飲み物まで用意しているという様子である。
 
私は、ホール、受付、楽屋と、何度も行ったり来たりする。
それが、また疲れる。
 
そして、開場である。
時間になると、続々とやって来る。
その人たちが、皆、知り合いの関係で、話に花が咲く。
 
カウンターテナーを初めて聴くという人が多かった。
次第に、客席が埋まる。
時々、楽屋に行って、それを藤岡に伝える。
 
開演前には、ほぼ満席になった。
私は、ホールの後ろに立って、見回した。
 
クラシック音楽には、最適なホールである。
300名ホールだった。
 
売り上げは、90万円近くである。
凄いことだと思った。
四月、五月と、二ヶ月目である。
 
まだ、無名の声楽家である、藤岡のリサイタルに人が来るという思いは、感動だった。
 
開場前のアナウンスをした。
更に、照明などの指示である。
そして、それが終わると受付に行き、主催者の皆さんにホールに入ってもらう。
 
開演すると、受付は私一人である。
 
後は、遅れてくる人を迎えるだけになる。
 
開演の時だけ、私は舞台袖に出て扉を開けた。
拍手の音が聞えると受付に戻る。
 
遅れてきたお客さんが数名で、ホールの後から入ってもらう。
それで、おおよそ、私の仕事が終わる。
 
時々、静かにホールの後の扉から中を覗く。
一部が終わると、休憩であるから、プログラムを見て、また舞台袖に行く。
 
一部が終わる。
扉を開けて、藤岡、ピアニストを迎える。
 
そして、休憩のアナウンスである。
 
藤岡とピアニストは、楽屋に行き、私は受付に戻る。
主催者の人も出て来た。
皆さん、素晴らしい・・・と言う。
 
ああ、良かった。
本当に、良かった。
胸を撫で下ろす。
 
15分の休憩の間に、お客さんたちに、飲み物サービスをしている。
それは、私が考えたことではなく、主催者の皆さんが考えたことである。
 
そして、第二部が始まる前に、また、舞台袖に向かう。
ベルが鳴り、第二部が始まる。
扉を開けて、藤岡を送り出す。
 
また、受付に戻り、今度は後片付けである。
 
順調である。
後半になると、私もホールの後ろに立ち、歌を聴く。
そして、アンコール曲が、二曲。
リサイタルが終わる。
 
扉を開けるために、舞台袖に行く。
そして、急いで藤岡を連れて、受付に向かうのだ。
お客様に藤岡と話をさせる。
 
その合間に、どんどんと、受付を片付ける。
主催者の皆さんも、お客さんと立ち話をする。
 
とても和やかな雰囲気である。
終わった。
私は、片づけをしつつ、安堵するのである。
 


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