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ある物語 24 

ある物語

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第二四話
2000年までの、記録が無い。
2001年からのコンサート履歴が残っていて、それを見ると何があったのか、よく解るのである。
 
ただ、2000年は、藤岡の行動範囲が徐々に広がる。
すぐに思い出すのは、コマーシャルソングを歌ったことである。
 
ある作曲家との出会いで、それがなった。
その世界では有名な作曲家だった。
 
その話を聞いて、私と、まりちゃんが凄く驚き、喜んだことを覚えている。
 
ロボット大戦・・・何とか・・・
そして、テレビ放映された。
確かに、藤岡宣男の声である。
だが、藤岡の名が出ない。
 
誰が歌っているのか、解らないのだ。
それでも、仕事をしたという、充実感を藤岡は得ていた。
 
そして、ある団体からの、依頼である。
それは、子供を中心とした、ミュージカルだった。
そのゲストとして歌う。
年を越えてのことだった。
 
更に藤岡は、仕事を始めて出掛けていて、また音楽の関係でも、よく出掛けた。
それで、少しでも、あの負担を感じなくて良いと思った。
長い時間、電車に乗るという苦痛である。
 
だが、藤岡は薬を飲み続けていた。
矢張り、一度体験した苦痛は予期不安となる。
パニック障害に似るものなのである。
 
更に、それには必ず、不安症や抑うつ状態が付属する。
脳内物資の関わりである。
つまり、癖になってしまうと、病となる。
 
私も、その年の六月頃に、漸く、医者を変える決心をした。
このままでは、根本的に直らないと考えた。
一時的な不安感を取るだけ。
 
根本的に、治すことだ。
更に、こちらから、医者にパニック障害であると告げて、薬を処方して貰う。
もし、医者がそれを知ることがなければ、別の医者を探す覚悟だった。
 
そして、最初の心療内科に電話すると、予約制である。
初診には時間をかけると言われた。
それは希望があると思えた。
 
幸運だったのは、その医者の同期医者がパニック障害の研究をしていたことだった。
医者は、治りますと断言した。
その事例報告書を持っていたことも幸いした。
 
即座に、SSRIを処方された。
ただ、それが効き始めるのは、二週間以上かかるのである。
 
藤岡にも、そのことを伝えた。
藤岡は、抑うつと診断されて坑うつ剤を処方されていたが、副作用のあるものだった。
 
兎に角、良い方向に向かっていた。
 
それでも、一年の中では、色々な事がある。
その色々なことを、過ごして生きていた。
 
その年の春に、私は札幌でお弟子さんたちのために、講習会を開くことにしていた。
いけばな、茶の湯、舞踊と、二日間をそれに当てた。
だが、その前に、飛行機に乗るか否かである。
 
結局、飛行機には乗らずに、新幹線を乗り継ぎ、青函トンネルを通り、札幌に向かうことにした。
 
これは、体験しなければ解らないことである。
現在では、苦も無く、飛行機に乗っている。
更に、飛行機に乗る事が楽しくさえある。
 
私の札幌行きは、しかし、後々、藤岡のリサイタルを開催するために、重要だったのだ。
 
多くの友人、知人を動員することが出来たのである。
その話は、後で書く。
 
まりちゃんの部屋に、藤岡と共に、行き来するようになり、出掛ける場所が出来た。
また、藤岡と銭湯に通うようにもなる。
 
藤岡からは、子どもの頃に、母親と銭湯に出掛けた話を聞いた。
母親の自転車の後ろに乗り、出掛けたという。
その時、住んでいたアパートは、六畳一間だった。
 
日々の合間に、藤岡の子どもの頃の話しを聞くことになった。
それは、私の子どもの頃と照らして、楽しいものだった。
 
貧しい子供時代を持っていることが、良かったと二人で話したことも多々ある。
 
何も無かったから、自分で何でも作ったという、藤岡。
紙の工作が好きで、欲しいものは、紙で作ったらしい。
レコードも紙で・・・
そして、それを回して、自分で歌ったという。
 
楽しいね・・・
 
それで、一人で椅子の上に上がり、歌っていたよ・・・
 
きっと、その頃から、藤岡の運命の中に、歌があったのである。
歌を歌う人生。
そうして、人は自ら、それに向かって生きているのだろう。
やりたいこと・・・
それを見つけられた人は、幸いである。
それが、どんなに辛いことでも、見つけたのである。
そして、はじめるのに、遅いということはないのだ。
 
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