<<TOP

ある物語 10 

ある物語

1 2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 32
33 34 35 36 37 38
39 40 41 42 43 44
45 46 47 48 49 50
51 52  53  54 55 56
57 58 59 60 61 62 63
64 65 66 67 68

論文集

お問い合わせ

第十話

藤岡と会わない日は、夜に電話がくる。
兎に角、毎日藤岡の報告を受けることになった。
 
ちなみに、藤岡の退職についても、易をしていた。
スムーズに進まないという・・・
更に、歌の道に進むということを、賛成する人はいないのである。
 
彼の人生を考えれば当たり前のことである。
30を過ぎての賭けは危険極まるものがある。
 
私は、日本海側にある、実家に出掛けた。
それでも、毎日、藤岡と電話で話した。
 
話は、前後するが、藤岡と結婚したいという女性のことについて、記憶は定かではないが、藤岡が東京からの出張から戻った日の夜に、会って話したように思う。
 
すすきの近くのホテルのティールームだった。
藤岡が、彼女が働いて収入得て、更に母親の世話までするという。
藤岡は、それは有りがたいことだと言うので、私が、そうだろうか・・・
と、話しを続けた。
 
実に先の見えない世界に入るのに、彼女を巻き添えにしていいのか。
それが、彼女の幸せであるとしても、長年を過ごす時、彼女が疲れ果ててしまったら・・・
 
勿論、昔の話しには、内助の功と言われる妻の苦労が言われたが、この時代には古い考えである。
 
彼女を働かせて、自分が歌を歌う・・・
私には、受け入れがたいものだった。
だから、もう一度考えてみと欲しいと言った。
 
私も身ひとつで田舎から出てきて、何も無いところから始めた。
だから自分の責任、自己責任であるから、人に最低限の迷惑しか掛けないと決めた。一人ならば誰にも迷惑を掛けないで済む。
 
勿論、すべての人に当てはまることではない。
それも人それぞれである。
 
実家に戻った私は、藤岡から、その話しのために彼女の実家まで出掛けて、話し合うと聞いた。
それでも、尚、彼女が着いて行くというならば、それはそれである。
 
私の方も、来年の春に鎌倉に移住するということを父母に言う。
こちらは何の問題も無い。
 
原稿書きの仕事でも、十分にやっていかれる状態なので、経済的には問題もない。
 
兎に角、札幌から出て、もう一度、自分の力を試したいとの思いである。
具体的に何か決めた訳ではないが、一人であるという強みがある。
どうにでもなる。
 
実は私の父も、私と同じ年に泣く泣く漁師を辞めている。
そして、酒屋を買った。
その酒屋の主人が、家に来て、木村さんに買って欲しいと頼みに来たのである。
昔は造り酒屋だった老舗である。
私の父に、それ以後の歴史を託したのである。
 
今では、その建物がとても価値のあるものとして認識されている。
昨年、東京の美術商が訪れて、建物にある古いものを、すべて買いたいと言っていたという。
 
新年が明けた。
初活け、初釜と、行事が続いた。
それに藤岡も参加したのである。
 
お弟子さんたちと和気藹々と話しが進む藤岡は、女性の心を掴むのが上手だった。
 
私は、その一月に、お弟子さんたちと定山渓の温泉に行き、最後の思い出にしようと思っていた。
 
その頃までに、すべてが決まる。
 
私の一番のことは本の扱いである。
捨てる、それ以外に手は無い。
その前に、教室に本を持って行き、お弟子さんたちに上げた。
上げても、上げても、減らないのであるから、後は捨てるだけである。
 
いけばな、茶の湯、着付けの本・・・
文学書、多数・・・
 
兎に角、半分以上を捨てるべきだと、捨て続けた。
そして、私が鎌倉に向かう月を五月に決めた。
 
その時期のことを、今振り返ると阿修羅の如くである。
 
一月末に、お弟子さんたちに、そのことを告げ、更に仕事関係の人たちに伝えて・・・
 
教室と家との、引き上げは、とても大変なことだった。
それでも移転するという気持ちは変わらない。
 
藤岡が移転の時期を決めた。
四月である。
そして、東京主張の際に鎌倉に出て、住む部屋を捜すというところまで進んだ。
それは自分の住まいと私の部屋である。
 
私も知人を頼りに捜してもらった。
結果、藤岡が決めた部屋にすることにした。
5LDKの部屋から、2LDKの部屋に移るには物を半分以上を捨てなければならない。
 
それを四月までに行うことだった。
 
藤岡も引越しの準備を始めたと言う。
母親が少しずつ箱に物を詰めているという。
仕事も三月で終わる。
 
そして結婚も諦めたのである。
その経緯に関して、私はおおよそしか聞いていない。
ただ、私が関わっていることを、彼女は、よく思っていないことが解った。
色々な噂を聞いて藤岡に伝えたらしい。
私の噂に良いものは無い。
 
十人いれば、九人までが、非難、中傷である。
あること、ないことを言うのは世の常である。
 
ある所では、女をとっかえひっかえ・・・
ある所では、男が好きで・・・
ある所では、年上、ババ殺しで・・・
 
要するに、私が、色々な人から搾取しているとか・・・
 
そんなことは、どうでもいいことだった。
有名税である。
 
15年ほど活動した札幌で惜しむ人もいたが、逃げるという人もいた。
それも、どうでもいいことだった。
 
雪が多かった年なので春は遅かった。
 

 
<< 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 >>