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ある物語 45 

ある物語

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第四五話


 
神戸のアカペラコンサートまでの間に、半年間の予定が立っていた。
 
まず、翌月の八月には、東京でのリュートソングと、ジャズピアノによるアメリカンポピュラーソングである。
九月は、鎌倉でのリュートソング。
十月は、新潟でのディナーコンサート、札幌でのリュートソング、東京でのチェンバロによるリサイタル。
 
更に、11月、12月は、藤岡の付き合いによるところから、依頼されたコンサートに出演する。
それが、翌年の一月にかけてである。
 
一月の自主公演は、オルガンと共に宗教曲のリサイタルである。
 
今思えば、結構な数をこなしていたということになる。
 
リュートも、ジャズピアノも、藤岡の付き合いから生まれたもの。
結局、人との縁で色々な企画が立ったのだ。
 
そして、私は、藤岡に日本語の歌を歌ってもらいたいと、考えるようになる。
自分がクラシックの世界を知らない、外国語の歌に関心が無かったゆえに、日本語の歌という意味もあったが・・・
お客さんも、日本語の歌を聴きたいと思ったのだ。
 
更に、藤岡も、日本歌曲の練習をしていたこともある。
 
藤岡の歌声は、舞台で歌うごとに、良くなっていった。
だから私は、舞台は練習の百回分以上だと、藤岡に言った。
 
練習ばかりしていると、練習の歌だけになる。
要するに、本番の歌を忘れる。更に、堕落するのである。
 
芸人は、舞台が命なのである。
それは、私も舞台を使ったから解る。
 
そして、伴奏者との出会いにより、更に高まる、深まるのである。
 
兎に角、走り出したのであるから、走り続けることなのだった。
 
それは、私も同じである。
一緒に走る。
 
初リサイタルから、五年間、藤岡は走り続けるのである。
 
私は、藤岡のコンサート以外の、余計な事を考えなくなった。
自分の仕事を広げようとも、思わないのである。
ただ、自然の流れに任せた。
 
丁度、原稿依頼も減り、都合が良かったのである。
少しばかりの原稿を書いて、後は藤岡のコンサートに集中した。
 
だが、コンサートを主催するには、金が必要なのだ。
ホール申し込みは、先払いが多い。
金のやり繰りなのである。
開催が多ければ、更に金が必要になる。
 
だが、一度決めたことであるから、何の躊躇なく、私はホールを予約していた。
そして、一々、藤岡に相談もしないのである。
 
兎に角、リサイタルを開催する私に、藤岡は反対しなかった。
しかし、後に、次第に客が少なくなるに連れて、藤岡は私に文句を言うようになる。
つまり、関東圏で、何度もコンサートをするからだと言う。
 
それでも、私は続けた。
兎に角、舞台で歌うこと、それだけだった。
 
勿論、それにより、中傷まがいのメールなども来たのだが・・・
つまり、リサイタルは、練習ではありませんというものである。
藤岡のメールに来るから、私は知らなかった。
 
それを藤岡が教えてくれた時に、私が激怒した。
 
私の言い分は、こうである。
それなら、負けじとリサイタルを開催してみるがいいと。
 
クラシックの連中は、芸術というものを知らない。
知ることは、嫉妬とやっかみ、妬みである。
更に、権威を好む。
それでいて、頭が悪い。
 
私にしてみれば、たかが、西洋音楽である。
西洋の民族音楽であろう。
それに対して、彼らは平伏するのみ。
何の、誇りを持つことか・・・
 
更に、頭が悪いと思うのは、偉いと思っているのである。
私たちは、クラシックをやっているという、奢りである。
 
民謡が一番、ジャズが一番、長唄が一番・・・
そういう、手合いと変わらないのである。
 
話にならないのである。
 
藤岡は、批評に取り上げられた時に、とても喜んだ。
僕が憧れていた批評だったと言った。
しかし、私は違った。
皆々、商売である。
 
批評家という商売をしているのであり、そのうちに商売を始めるだろうことは、解っていた。
 
それらは、権威ある者の演奏に関しては、絶賛するのである。
決して、本心を書く訳ではない。
 
一番良い例は、本当のバッハを聴いた・・・
一体、この評論家は、当時のバッハの音楽を聴いたとでもいうのか。
本当の、ベートーベンを聴いた・・・
そういう言葉を平然として言う、輩を信じられるか。
それなら、霊能者を名乗るがいいと、私は言う。
 
その程度の世界が、西洋音楽の世界なのである。
 
日本人のやる、オペラが滑稽なように・・・
すべてが、滑稽なのである。
 
更に言えば、声楽家の日本の歌は、聴くに耐えないのである。
母国語が、しっかり出来ない者が、イタリア、フランス、ドイツ・・・
外国語で歌って、何の意味がある。
 
ところが、偉いと思う。
それでは、歌う外国語で会話できるのかと言えば、会話が出来ないのである。
 
それは、もう、終わっているのである。
 
芸大、音大・・・
終わっている。
私は、つくづくと知った。
西洋音楽というものの嘘八百を。
 


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