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ある物語 38 

ある物語

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第三八話


 
横浜に戻ると、私は新潟行きを決める。
コンサートの前に、皆さんと会って、客入りを相談する。
チケットを売る人たちであるから、一泊泊まりで新潟に向かうことにした。
 
使用するホールとの打ち合わせもある。
そのホールも、新潟市在住の人の承認が必要なのである。
 
新潟では、経営者のグループが私のために集い、食事会をしてくれた。
そこで、コンサートの客集めの話である。
 
代表の一人の方が、そういうことの得意な人がいるので、明日、その方のところに一緒に出かけましょうということになった。
皆さんの、従業員は全員来るということで、とりあえずは、その人数が確保出来た。
 
翌日、私は代表の方と、その客集めについて得意だという方の家にお邪魔した。
 
その方は、陶芸家の方だった。
とても気さくで、色々と話を聞いた。
結論は、代表をはじめとする人たちが、手売りすることが一番だということ。
当然といえば、当然だが・・・
 
だが、それが実り、ほぼ満席状態になったから、驚いた。
勿論、それは当日に知ることになる。
 
ホールとの打ち合わせも、難なく終わり、私は新幹線に乗って、横浜に戻る。
もう、乗り物に関しては、ほとんどパニック障害を心配しなくていい状態になった。
勿論、薬は飲む。
二度と、あの状態になりたくないからである。
 
一度、パニックを起こすと、またそれが癖になるのである。
更に、その観念が固着する。それが、一番、悪いのである。
 
横浜に戻り、夜、藤岡に報告した。
客集めは、皆さんにお任せしたから、大丈夫だよ・・・
藤岡は、嬉しそうだった。
 
200名程度のホールが満席であるということは、大変な売り上げである。
一回のコンサートで、60万円などの売り上げは初めてのこと。
 
兎に角、来月であるから・・・
プログラムは、もう何度も行っているものである。
藤岡は余裕だった。
 
東京でのリサイタルの評判なども耳に入って、藤岡もやる気満々な気分だった。
 
中には、コンサートの休憩時間に、飲み物サービスなどをしては、というアイディアを貰った。
確かに、いいアイディアだが・・・
何せ、私一人しかいないのである。
何もかも、一人でやるには無理なことだった。
 
後で気づくことだが、コンサートにはプロデューサーがいて、舞台にはステージマネージャーがいて、受付は、二人程度がいて・・・
それを最初は、私一人でやっていたのである。
 
新潟の際には、経営者の皆さんが、受付に出て、お客さんを迎えてくれたので、助かったが。
 
そんな日々の中でも、藤岡は仕事を続けていて、結局、採用した人たちの講師になっていたのである。
驚いた。
 
そして、そのノートを作り、話の段取りをしていたのである。
 
更に、社長から、何度も勧誘されていた。
歌は一端止めて、ここで金を得てから音楽事務所をするといい・・・
 
だが、そんなことは、出来なかった。
藤岡も、私も、それは考えなかった。
 
横浜移転して、まだ一ヶ月程度だが、前々から住んでいたような顔をして、藤岡も私も、暮らし始めた。
 
レッスンにも、通っていた。
その先生は、歌ではなく、古楽の解釈を良くする先生である。
藤岡は、古楽に関しては、とても勉強になると言っていた。
 
勿論、私には、古楽というものが、どんな音楽なのかもしらないのである。
中世の西欧の音楽・・・という程度である。
 
そして、もう二度と、どこかの音楽事務所がチケットノルマを持たせて出演するコンサートには出なかった。
私も、出る必要はないと、言った。
 
ただ、そこで出会った人たちとの付き合いは、続いていた。
その一人がギタリストの千葉真康君である。
 
その後、仙台でのコンサートから、千葉君とは、とても親しく付き合うことになる。
 
藤岡と私は、同じマンションで一年間生活した。
毎日、藤岡の食事の世話をして、昼間は書き物をし、そして早めの時間に銭湯に行くのが、日課になっていった。
 
だが、私の仕事は、どんどんと減っていた。
つまり、収入が減るのである。
だが、それでも余裕があった。
 
普通に生活する限りは、安泰であった。
だが、コンサートを企画し始めてから、どんどんと金がかかる。
先払いでホールを予約する。
 
勿論、それは私が決めたことであるから、出費することは当たり前だった。
 
東京、札幌と続けてきたので、更に、翌年の東京、札幌コンサートも、すでに考えていた。そして、ホールを探すことになる。
色々なホールに電話を掛けて、その案内を送ってもらう。
それも仕事の一つとなった。
次に考えたのは、広告である。さて、どこにどのように、広告をすればいいのか・・・


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