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ある物語 63

ある物語

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第63話


八月のミュージカル出演の前に、藤岡は、広島空港のフォレストヒルズ・ガーデンの、ハーモニック・ホールで、ギターによる、演奏会に出演した。
 
それを演奏履歴を見て、思い出した。
その際は、私は行かなかった。
 
ギターであるから、千葉真康君である。
 
何故、その演奏会に出ることになったのか・・・
解らない。
 
兎に角、八月は、それと、ミュージカルだったということ。
 
2002年の夏である。
 
あの暑い夏も、遠い思い出となった。
そして、今年もまた、夏が来る。
 
何度、夏を迎えて生きるのか・・・
 
藤岡の演奏会は、それ以後も、延々と続くのである。
 
夏の昼間は、いつも麺類を食べていた。
蕎麦、冷麦、ソーメン・・・
色々と、付け合せを変えて・・・
 
暑さで食欲が無くなる。
それでも、麺類なら、何とか食べることができた。
 
夜は夜で、暑い。
そんな夜も、部屋で藤岡と食事をする。
 
色々なことで、喧嘩もした。
つまらないこと・・・
 
ある夜のこと、電話がかかってきた。
初めての方である。
初老の男性だった。
 
鎌倉のコンサートで、藤岡の歌を聴いたようだった。
そして、それから、長い会話が始まった。
 
その人が言うカウンターテナーの話を、うんうんと、聞くことになる。
あの有名なカウンターテナーに対しても、酷い批判をした。
更に、藤岡の歌に関して、舞台に立つには、五年早い・・・云々。
自分も、声楽を少しやっから・・・云々。
 
そのうちに、私の方が、頭にきていた。
黙って聞いていると、散々に言うのである。
 
そして、自分は、クラシックのセミプロである・・・
 
そこで、爆発した私である。
徹底的に、こちらが喋った。
 
舞台に出ることが、どんなことか・・・
更に、芸というものが、どんなものか・・・
私も、和芸の世界にいた・・・云々・・・
最後に、年を言え・・・ばか者・・・
 
それを聞いていた藤岡である。
受話器を置くと、藤岡が、怖いと泣く。
 
傍で聞いていても、怖い・・・
そう、私は、大声だし、怖いようである。
 
だが、このようなクラシックファンを、私は、最も嫌った。
 
解っている・・・
その、つもりになっている馬鹿者である。
 
クラシックを解る・・・
たかが、西洋の民族音楽である。
 
だから、そういう輩とは、よく喧嘩をした。
その際に、藤岡が私を擁護していた。
 
人は私を、素人だと言う。
それに対して、藤岡は、素人だから良くわかると、言っていた記憶がある。
 
あの人は、素人でしょう・・・
だから・・・
だが、芸について、私はプロである。
 
私も、和芸を教えていた。
 
和芸よりも、西洋のたかが音楽が、凄いのか・・
と、私は、いつも憤慨していた。
 
あの、野蛮な音楽、西洋音楽である。
そこで、西洋音楽に関しても、お勉強をした。
 
それらは、すべて、ユダヤ教から、出でいるのである。
ところが・・・
それは、伏せてある。
ユダヤ教から出たなどとは、誰も言えない。
しかし、私は、知っている。
 
グレゴリオ聖歌も・・・
あれは、ユダヤ教の、朗誦から出ているのである。
 
クラシックの大本が、ユダヤ教からというのが、西洋人には、我慢ならないのである。
 
何せ、ユダヤの歴史は、古い。
キリスト教など、物の数ではない。
 
キリスト教音楽は、すべてユダヤ教からのもの。
その発祥である。
西洋音楽史・・・
どこにも、それが書かれていない。
 
キリスト教が、ユダヤ教を凌駕したからである。
 


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