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ある物語 25 

ある物語

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第二五話


演奏履歴を見て、明確になった。
 
1999年8月、ウィーン、シューベルト教会のコンサートに出演している。
そして、同じく、11月に、ローマ公演に出掛けている。
 
ローマは、東京オラトリオシンガーズとの共演で、ヘンデルのメサイアの、アルトを担当しているのだ。
 
そして、2000年である。
その年が、一番辛いことが多かったように思う。
 
それでも、先が見えないという状況だったから。
 
8月も、11月も、持ち出して出掛けているので、大金が必要だったはず。
 
それは、鎌倉生活の三年目である。
過ぎてしまえば、早いが、その当時は、毎日が大変なストレスだった。
 
そして、私も、占いのアルバイト程度の仕事を、知り合いのツテではじめた。
横浜関内に週に三度出掛けて、占いコーナーに座るという。
それはまた、電車に乗る訓練ともした。
 
昔、全国100人の占い師に選ばれた時に、取材を受けたルポライターに頼んだ覚えがある。
 
そしてそれは、医者を替えたこともあった。
SSRIが出た前後の年だったように思う。
 
処方を変えて貰い、それを服用し始めて、少し改善が見られたことで外に出る機会を作ったのだ。
 
それは確かに良かったと思う。
だが、その頃から藤岡の電車への恐怖が強くなっていた。
今度は逆である。
 
長く電車に乗るというのが、絶えられないストレスになっていた。
 
だが、藤岡は、以前と同じ処方された薬を飲んでいた。
昔の、抗欝剤である。
副作用があり、小便が出にくいというものだ。
 
藤岡が、私によく、子供のように出たいのに、出ないよ・・・と、訴えていた。
辛かった。
 
今までにない、環境の変化と、新しい道に歩みだす、不安とストレス。先の見えない日々。だが、藤岡は後悔することはなかった。それが、藤岡の強さだった。
 
私は、何度も後悔した。
札幌にいれば、何でもなく日々を過ごせたのに・・・
しかし、本当に、それで、満足したのかと思えば、満足はしなかった。一人でいたから、このような挑戦が出来るのだとも、思い直す。
 
その年、再び私は飛行機で札幌に出掛けた。
しかし、矢張り、飛行機は駄目だった。
死ぬ思いだった。
 
途中で、何度も薬を足して飲むが、すぐに利く訳ではない。
だから、飛行機から降りてから、薬が効いて眠気が襲った。
決死の覚悟でチャレンジしたのが、間違いだった。
 
それから、暫くの間、私は、またパニックと向き合うことになった。
 
人から見れば、藤岡も、私も、何も問題なく見える。
だが、本人は、とても苦しい状態にあるという。
 
藤岡は、仕事のために横浜に出るようになる。
そして、少しだが、それが気分転換になっているようで、私はホッとした。
 
一日が、とても、長く感じられた日々だった。
 
春が過ぎ、夏も終わり、秋になる。
季節の移ろいは、確実にしてあるが、人の心は、その時々で違う。
同じ風景を見ても、感じ方が違うのである。
 
楽しむという、気持ちにまで至らなかった。
四季折々の花が咲く。
本当は、感動のものだったはずだが・・・
 
ただ、新年、一月、二月の、水仙の花は、私を力づけた。
北海道では、その時期、花は見えない。
しかし、その寒い時期に和水仙が黄色に輝くのである。
 
それには、慰められた。
 
その年は、知り合いが何人か、鎌倉に遊びに来たが、忘れた。
更に、私の母、妹、その旦那と子供が遊びに来た。
だが、彼らと北鎌倉で逢うにも、大変な勇気を持って電車に乗ったことを思い出す。
 
たった、一駅であるのに・・・
そして、部屋に連れて来て、その付近を案内した。
 
彼らには、良い所に見えたようで、妹などは、いいね、いいね、と言っていた。
その妹も、今は亡くなって、いない。
 
父の死にも、妹の死にも、私は、逢わなかった。
追悼慰霊と、支援活動を始めて、父の時は、タイ、チェンマイで、妹の時は、マニラに出掛けていた。
 
無情迅速なのである。
藤岡の死後、私は、また多くの人の死に出会った。
 
後を追う暇もなく・・・
人は死ぬ。
 
そして、私も死ぬ。
私の、希望が死ぬことになった。
死が、私の救いになったのである。
 
 
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