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ある物語 3 

ある物語

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第三話

人には、人生の転機というものが、幾度もある人がいる。
藤岡も、その一人で、何度かの転機があった。
 
その一つがピアノである。
六条一間の部屋に、アップライトピアノが置かれた。
毎日、楽しくて練習する。
 
ピアノを現金で買ったという、母親の心意気も、さすがである。
藤岡の母は、いつも藤岡に、金が無いのは頭が無いのと同じと言い聞かせていたという。
 
そして藤岡も、僕たち親子には、唯一お金が頼りと言っていた。
 
勉強することと、ピアノの練習をすることが楽しい子供時代を送ったことは、藤岡の情緒に大きな影響を与えた。
 
だが、成績が良過ぎた。
広島大学付属高校から、広島大学に入学するに際して、親戚は医学部を勧めたという。
そんな人たちに、音楽を目指すとは、言えなかったらしい。
 
亡き後、こんな声を聞いた。
広島大学始まって以来の秀才だったと。
 
ここでいう、成績が良いとは、試験の結果が良いということである。
頭が良いとも言うが、もう一つ、試験の成績ではない頭脳優秀というものがある。
 
藤岡は、賢い馬鹿ではなかった。
その証拠は、冷静沈着さである。
そして、その所作である。
見苦しくないのである。
 
感情的になればなるほど、冷静になるという賢さである。
 
それは、見事な作法だった。
 
私は、よく言われた。
本当は、木村さんのようなタイプは、好きじゃあない。大声で喋る人・・・
私が電話で母と話し終わると、今の人は、誰と尋ねて、母だと言うと、喧嘩しているようだと感心した。
浜育ちの私は、地声が大きいのである。
 
ある時、クラッシク通だという、馬鹿な男と電話で話していて大喧嘩になったというより、私が一人で怒り心頭に達して、怒鳴りまくったとき、藤岡が怖いと泣いたことを思い出す。
 
その男、プロとか、アマとかを、云々するので、私は怒り心頭に達したのである。
プロとか、アマの違い・・・一体誰がそれを決めるのか・・・馬鹿者・・・
 
藤岡の舞台を見て、舞台に立つのが五年早いと言ったのである。
更に、米良という、カウンターテナーについても、あれはアマだと言う。
そこで、私の怒り心頭である。
 
それならお前が歌ってみよ・・・
自分も声楽の心得があるというからである。
 
まあ、この話は、この辺で止めておく。
いずれ、多々書く事がある。
 
僕が怒られているみたいだ・・・
藤岡が言う。
そんなに怖いわけ・・・
凄く怖い・・・
 
と言うわけで、私は怖いのである。
 
人は大声に弱いのである。
威圧される。
更に、心が乱される。そして、萎縮する。
 
藤岡の高校生活は、ほぼ勉強の思い出しかないのである。
何度か、藤岡から試験の点数の説明を受けたが、忘れた。
兎に角、とてもいい成績だったということだけを、覚えている。
 
私は、高校卒業も怪しかったから、それを聞いていて、こんな優秀な藤岡が、何故私と一緒にいるのかと考えることもあった。
 
勉強が楽しい、好きだというのは、私と出会ってからも続いていた。
何度も、留学したいと言った。
まだまだ、学びたい事がある・・・
 
本当に感心した。
出来れば、一生学んでいたい。
 
じゃあ、何故、大学院辞めたの・・・
先が見えたから・・・
 
そのままで、大学教授の道もあっただろうにと、私が簡単そうに言うと、あれはゴマスリが上手だと成れるよと、言った。
 
学んだことを社会の中で生かしたいと、ヤマハに入社したのだ。
 
それは、正解だった。
 
僕より頭の悪い人たちが、色々な大学の教授になっているよ・・・
そう・・・
 
そんなの、面白くない・・・
そうだね・・・
私も、そう思う。
 
だが、私も、いけばな、茶の湯、舞踊の教授だけどね・・・
まあ、金を出せば誰でもなれるけど・・・
だから、家元になった・・・でも、弟子のいない家元・・・
 
藤岡が笑う。大声で笑う。
藤岡が大声で笑うのである。
他では決して、そんなことはしない。
 
安心して、笑うのである。
私の救いといえば、藤岡が安心して、私の前では感情をそのままにしていたということである。
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