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ある物語 8 

ある物語

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第八話
雪が降り、冬になった。
藤岡とは、時々、食事をするようになる。
 
私が何か言うと、笑う。
とても藤岡が、私を楽しく見ていた。
 
全く別世界の人なのである。
藤岡の世界には存在しない人間なのだ。
 
品の良い藤岡と、下品な私である。
 
思ったことは、すぐに口にする。
一々、考えてはいられないのである。
面倒だから・・・
 
藤岡の昼休みの時間に、食事をすることが多かった。
それは、私の文化教室への出掛ける前の時間帯でもあり、丁度、都合が良かった。
藤岡が、今日は僕がご馳走しますと言っても、私か支払う。
 
アンタ、私の方が年上だよ・・・
それにきっと、私の方が金がある・・・
 
確かに、その時の私は金があった。
個人なのに、税金対策のために税理士を御願いしていた。
 
次第に、藤岡が私になれてくると、私の部屋に遊びに行きたいと、言うようになった。
本当は、人は入れないんだ・・・
でも、来て、いいよ・・・
 
それからである。
頻繁に藤岡が、私の部屋に来るようになった。
兎に角、私の部屋は広い。
メゾネットタイプで、リビングが吹き抜けである。
つまり、藤岡の歌の練習にも良かった。
 
ただ、冬は重油ストーブで、温風であり乾燥した。
そこで、加湿器を藤岡のために用意した。
 
仕事帰りは、風呂にも入るようになる。
 
何が楽しくて、私の部屋に遊びに来るのかと、思ったものだ。
 
食事は、皆、私の手作りである。
今も、私は自炊を主としている。
 
魚料理は、お手のもの。
実家から送られてくる、魚を食べるのが何より楽しみなのだ。
今も、それは変わらない。
 
ただ、私は誤解していた。
藤岡は、生物を嫌うだろうと思い、結構気を使い料理を作った。
が、その後、刺身から魚の煮物・・・
色々好きなことが解った。
 
一度、毛蟹をご馳走したとき、私は食べやすいように準備してあげた。
更に、かに味噌などは食べないと、先に私が、かに味噌を食べてしまう。
その時、藤岡が変な顔をしていた。
食べ終わってから、藤岡が、僕もかに味噌食べたかったなーーー
と、言ったのを聞いて、アンタ、食べられるのと聞いた。
大好き・・・
じゃあ、刺身も・・・
うん・・・
あらっ・・・
 
それから、私の魚料理を披露したのである。
 
部屋に来ると、椅子の上に上がり、歌の練習をする藤岡。
その間、私は食事の支度をする。
その関係は、鎌倉に行ってからも続いたのである。
 
椅子の上に上がるという行為が、子どものようで、私も楽しかった。
私は、デビュー前から、藤岡の歌を聴いていたのだ。
 
更に、藤岡は、私の教室にも行きたいと言うようになる。
お花や、お茶を見て見たいというのだ。
 
ああ、いいよ。
丁度正月用の、いけばなの時期であり、藤岡も休みに入ったので招待した。
弟子たちは、突然のお客に緊張感一杯になった。
 
花を見て、茶室でお茶を頂く。
その時、私は相手をしなかった。
皆、お弟子さんたちに任せた。
そこで、皆と話しが弾んでいた。
藤岡にとって、女たちは得意の相手だった。
ヤマハの指導者であるから、ビアノ弾きの女たちの指導をしていたのである。
 
私の教室は、お弟子さん主体で、私は、あまり関わらないのである。
ソファーで横になったりと、好きにしていた。
 
時には、勝手に琴を弾いたりと。
 
最初教室にお花を習いに来た若い女は、教室を間違えたのかと思ったという。
丁度、私が一人で踊っていたのである。
 
あのーーーここ、お花の教室ですね・・・
そうだよ・・・
 
紹介されて来たんですけど・・・
ああ・・・
どうぞ、入って・・・
 
後で聞くと、呆然としてしまったという。
その頃は、二つ教室があり、ビルの五階と六階を使っていた。
六階は、踊りや占いの教室などである。
 
お花も、お茶も、お弟子さんたちに任せて、六階で原稿を書くこともあった。
先生がいなくても、代稽古をする古株の弟子がいて皆を指導していたのである。
 
だから、今頃、札幌で続けていれば何もせず、ただ大先生として存在していれば、自動的にお金が入っている状態だったのである。
 
自慢じゃないが、それが、嫌になった。
 
それが、40の年である。
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