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ある物語 43 

ある物語

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第四三話


 
新潟での、初リサイタルは大成功である。
 
コンサート後は、そのまま指定された打ち上げのための店に行く。
主催者の皆さんと、その仲間たちで、総勢20名ほどが集った。
 
兎に角、藤岡が質問攻めにあった。
当初は、このように打ち上げに出ていた藤岡だが、そのうちに、疲れることから打ち上げを遠慮することになる。
私が、それを担当することになってゆく。
 
藤岡も、色々と気を使い、早く帰る客などを見送る。
だが私は藤岡に、そこまでしなくて言いといった。
そんなことをしていると、本当に倒れてしまう。
 
気遣いは舞台で十分だと、私は思っている。
その後の付き合いは、余分なのである。
歌い手は、歌を歌うことに全霊をかける。それで、いいのだ。
 
その席で、主催者の一人が、葡萄酒を作る場所があり、そこには宿泊施設やレストランがあり、今度は、そこでディナーショーがいいと言う。
私は、早速、その所在地などを尋ねた。
 
私の中では、もう、計画する段取りである。
そんなことを、考えもしなかった。しかし、プランを上げられたのである。
 
更に、一度、そのために新潟に伺うということまで決めたのである。
 
こうして、リサイタル後に、次の予定を決める、考えるということが、多々あった。
それはそれで、正しいことだった。
チャンスは、二度無い。
 
一つのコンサートから派生して、広がることは良いことである。
 
すべてが、終わると、夜の10時近くになっていた。
藤岡と私は、歩いてホテルに戻った。
 
明日は、ゆっくりとして、横浜に戻る予定である。
 
藤岡は、お金が入ったことを喜んだ。
つまり、歌がお金になるという感覚である。
 
私は、売り上げを藤岡に見せた。
凄いね・・・
うん・・・
 
そして、私は、
これからだ・・・これからが始まりと、言った。
 
この同じ月に、神戸で、アカペラリサイタルを開催するのである。
走り出したら、止まらないし、止まっては駄目である。
 
その後も、八月、九月、十月と、予定が入っている。
すべて、自主公演である。
つまり、私の企画である。
 
更に、会場を予約するために、一年後、一年半後の予定まで立てることになるのである。
 
翌朝は、藤岡は随分と眠ったようで、起きるまで待っていた。
食事は、新幹線でするというので、そのまま駅に近い主催者の一人のお店に立ち寄る。
 
皆さん、とても感動してくれたと聞いた。
そこで、コーヒーを頂き、再度お礼を述べて駅に向かう。
 
往復でチケットは買ってあるので、好きな時間の新幹線に乗る事が出来る。
 
兎に角、新潟で縁を作ったのである。
それが、また、どんな形に広がるのか・・・
楽しみであった。
 
横浜に戻り、翌日から藤岡は、何事も無く、仕事に出掛けた。
すでに、指導的立場を確保していた。
 
部屋に戻るたびに、成功哲学めいた話しを聞くことになる。
私は、それを聞き流していた。
が、藤岡は真剣だった。
 
それで、私が暗示効果のある言葉を録音したりした。
それは、面白かった。
繰り返し同じ言葉を吹き込むのである。
それを、藤岡が夜、眠る前に聞くという。
 
私は、翌日から神戸のチラシとチケットを作り、即座に送った。
そして、電話で新潟公演の盛況を伝えた。
 
神戸のMさんも、乗り気になったようだった。
何と、昼夜の、二部構成にするという。
えっ・・・
いや、こちらでもう、手配しています。
つまり、客を用意しているというのである。
 
今度は、こちらが驚いた。
しかし、藤岡が二度も、歌うか・・・
戻った藤岡に言うと、いいよと、軽く返事をするのである。
 
二度も歌うのは、大変なことだと思ったのだが・・・
 
結果、二部構成でいいということで、決定である。
 
藤岡は、すべての公演を記録していた。
それは、私が気づかなかったことである。
そのお蔭で、亡き後も、藤岡の声が多く残ることになるのである。
 
仕事に行き、レッスンに行きと、忙しい日々だったが・・・
それでも、時々、具合が悪くなるようで、医者からの薬を飲んでいた。
勿論、私も、二度とパニックに陥らないように、続けて服用していた。
 
手帳には、どんどんと、予定が書かれてゆくのである。
更に、藤岡に依頼がくるようになる。
人のツテによって、紹介されるものだった。
 
矢張り、運は人が運んでくると、確信したものだ。


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