第二九話
翌日、月曜日である。
私は、午後一時過ぎに、藤岡の部屋に向かった。
迎えたのは、お母さんだった。
まだ、寝てるでしょう・・・
うーん、どうかな・・・入りや・・・
藤岡の部屋に入ると、起きていた。
一緒に行くよ・・・
うん・・・待ってて・・・
私は、リビング戻り、お母さんが煎れてくれた、ミルクティーをご馳走になった。
お母さんは、リサイタルを知っていたが、来なかった。
一度だけ、お母さんが来たのは、後々のコンサートの時の、一度だけである。
藤岡が、顔を洗い、出掛ける準備をするまで、お母さんと、話しをした。内容は、忘れた。兎に角、元気なので安心した。
二人で、楽譜屋に向かった。
藤岡は、店員たちと、顔馴染みである。
コンサート、こことでしたいんです・・・
藤岡が言う。
店員たちは、とても喜んだ。
リサイタルのことを知っていた。
そうなんです・・・入りきれなかった人たちのためにするんです・・・
私が言うと、二人のおばさんは、凄いね・・・である。
ほとんど空いているので、好きな日が選べた。
来週の土曜日にした。
時間は、準備を入れて、午後五時から、九時までの間である。
五千円ほどである。
口約束のような、申し込みをして、私たちは、戻った。
私は、早速、案内のチラシを作る。
当時、ワープロを使っていて、それで作った。
藤岡は、私に任せていた。
そして、伴奏ピアニストに連絡して・・・
私は、それを、その日のうちに郵送することにした。
兎に角、私のやることは、早い・・・
だが、しかし・・・
翌日、藤岡が、私の作った案内のチラシを見て・・・
怒った。
何・・・木村さん・・・これじゃあ、スーパーのチラシより酷い。
確かに。
ただ、文面だけ。
文字も指定なく、本当にお知らせである。
それからも、チラシのことで、いつも揉めていた、私たち。
誤字脱字・・・
まあ、兎に角、二回目の開催である。
すでに、申し込んでいた人たちであるから、反応は、早かった。
すぐに連絡が来た。
45名ほどが、申し込んできた。
今回は、すべて利益になる。
まりちゃん夫婦も、再度来ることになった。
矢張り、やらなければ、何も始まらないのだ。
そして、私は、思い付いた。
札幌公演と、新潟公演である。
一番、多くの人たちと縁がある場所なので、スムーズである。
すると、別の伴奏ピアニストからの連絡である。
すかさず、東京でリサイタルをしたい・・・・
藤岡に言わせた。
ああ、お客さんなら、呼べますよ・・・
ということになり、決定。
そして、四月、東京、五月、札幌、七月、新潟と、決めてしまったのである。
私は、即、札幌と、新潟の特に親しい人に電話をして決めた。
と、することが沢山ある。
無鉄砲極まりない・・・
新潟には、ホールを取るために、一度出掛けてゆくことにした。
すると、あちらも、皆で、食事会をしますという。
始動・・・
始まったのである。
いや、始めたのである。
それ以後、藤岡が亡くなるまで、私は、それを続けた。
それに、藤岡も、着いて来た。
喧嘩しつつ・・・
人生、何処で、どう変わるか解らない。
その瞬間まで、考えていなかったこと・・・
それで、何かに引き摺られるようにして、始まるのである。
本当に、幕開けだった。
藤岡宣男の幕開けでもあった。