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ある物語 60 

ある物語

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第60話


藤岡は、ヨーロッパ風を好んだ。
だから、食べ物も、それである。
特に、イタリア料理である。
 
藤岡が出掛けた国で、一番食べ物が美味しいのは、イタリアだと聞いていた。
だから、外食する時は、イタリア料理が多かった。
 
次に、海鮮料理である。
それは、居酒屋で済んだ。
 
酒も色々と飲んだが、最後は、紹興酒が藤岡の酒になった。
私も一緒に飲むが、水割りである。
藤岡は、そのままにレモンを入れた。
 
だが、私の作る、パスタも美味しいと言っていたが・・・
 
藤岡が最初に喜んだのが、カレーである。
その最初は、市販のルーを使っていたが、私が鎌倉で、まりちゃんに本格的カレーの作り方を教えて貰い、それを藤岡に作ると、大感激された。
 
ショウガ、ニンニク、カレー粉を使ったものである。
その分量が難しいが、私の場合は何となくである。
 
その何となくの分量が藤岡の口に合った。
 
だから、それ以後、カレーとは、そのカレーになった。
しばらく、市販のルーは使わない生活を送った。
 
それから、北海道から送られてくる、タレ付きジンギスカンである。
人が来ると、電気プレートでジンギスカンをした。
その時々で、野菜の種類が違う。
 
だが、もしやは、必ず使う。
ジンギスカンに最も、もやしが合うのだ。
玉ねぎ、ピーマン・・・
 
私は、握り鮨も作った。
だが・・・
藤岡は、私の鮨は、ネタより、ご飯が大きいと言う。
沢山食べられないよ・・・
 
確かに、そうだった。
だから、手まり鮨のようにした。
 
刺身も好きで、私は近海物の魚を、よく刺身にしていた。
子供の頃から、見て覚えていたのである。
誰からも、教えて貰ったことはない。
 
藤岡は、食べるだけで、一切、台所には立たなかった。
子供の頃から、そのようだったと言う。
卵の割り方も知らなかったというから・・・驚いた。
 
夏は、麺類を多く作った。
蕎麦は、勿論、素麺から、冷麦、うどん・・・
ザルものである。
 
その度に、タレを工夫した。
とろろいも、だいこん、ショウガ・・・
 
中華麺の場合は、特に凝った。
市販のタレ付きを使うが、それに手を入れる。
具も多く作る。
 
こうして、思い出すと、今は、ほとんど作らないのである。
 
私は、魚が好きなので、煮る、焼く・・・程度。
刺身も切り売りのものを買うだけ。
 
藤岡の生前の時とは、確実に食べ物が違う。
 
と、書き続けてきたが・・・
これも、思い出である。
 
と、書き続けてきて、思い出したことがある。
藤岡が、いつも、言う。
僕は、沢山のものを、少しずつ食べたい・・・
 
えっ・・・
楽しいから・・・
でもね・・・作るの大変なんだよ・・・
 
彼は、作らないから、解らない。
 
色々なものを、少しずつとは、無理である。
特に、私の場合は、一つのものを大量に作るのが、得意である。
というより、それが、旨く出来るコツなのである。
 
鍋物でも、少しでは、不味い・・・と、感じる。
溢れるほどにして、いい。
 
それが、藤岡と私の違いだった。
 
それで、外食の時は、できる限り、そのような店に入った。
色々なものが揃う店である。
 
食べ物の思い出は、限りない。
そして、それは、掛け替えのない、人生だった。
 
人生は、思い出である。
その思い出が多ければ、多いほど、豊かだ。
 
そして、死ぬ。
ああ、楽しかった・・・
そうして、死ぬのが、願い。
 
10年の差も、20年の差も、変わりない。
確実に、私も死ぬ。
それが、救いである。


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