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ある物語 33 

ある物語

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第三三話


リサイタルホールは、代々木上原にあった。
全く初めて行く場所である。
 
新宿から乗り継ぎして、藤岡と二人で出掛けた。
ホールは、一時から借りている。
 
何も解らないから、兎に角、一時までに到着してと、思った。
 
立派な造りのホールである。
 
ホールの方にお会いして、色々と尋ねる。
初めての使用ということで、ホールの人たちも手伝ってくれた。
 
開演は、夜の七時であるから、相当時間がある。
 
リハーサルは、三時であり、藤岡と私は、近くに食事に行くことにした。
プログラムは鎌倉と同じであり、藤岡には余裕があった。
ただ、伴奏ピアニストは、別である。
 
その時に、藤岡と何を話したのか・・・
解らない。
私は、ただ、うまく行くことだけを願っていた。
 
チケットは、30名程度出ていたが、当日に来る人が多かった。
 
リハーサルを最初から、聴く。
私には、何度も聴いた曲である。
 
そのプログラムは、結局、札幌、新潟と続けた。
 
四月で、私は袷の着物を着ていたが、温かかった覚えがある。
単の着物で十分だった。
 
準備を終えると、開場前、一時間である。
藤岡は、控え室で休み、私は、ホールの中をうろうろ見ていた。
 
クラシック音楽のコンサート・・・
私には、知らない世界だった。
更に、主催。
その時から、オフィスTW2と名乗った。
それは、藤岡のアイディアである。
 
英語の言葉にあり、道無きところに、道を作るという意味である。
 
その英語を何度聞いても、私は覚えられなかった。
 
開場時間が迫った。
すでにお客様が、来る。
カウンターテナーに興味があるという老婦人が一番だった。
 
ピアニストの紹介で、当日券のお客様が、続々と来た。
ホールの席が七割程度埋まった。
 
その時、私は一人で何から何までやった。
よく解らないから出来たと思う。
 
開演10分前。
照明を落とし、本番の明かりにする。
そして、また、受付に立つ。
 
開演した。
私は、それを見て、もう一度受け付けに立つ。
遅れて来る人たちもいる。
 
曲の合間に入ってもらう。
そういうことも、何となくやる。
 
受付で、お金の計算をする。
ホール代、付帯設備、そして、ピアニストのお礼・・・
 
その時は、利益などと、考えていない。
ただ、上手くゆくことだけである。
 
休憩時間になり、お客さんたちが、外に出て来る。
素晴らしい・・・などの言葉が耳に入ると、自分のことのように、喜んだ。
 
第二部の五分前に、私は、お客さんに声を掛けて廻る。
そして、第二部がはじまる。
 
お花の届け物などもある。
それを整理つつ、ホールの歌を聴いている。
二部になると、後片付けである。
 
アンコールの一曲目がはじまる。
私は、ホールの扉の前に立つ。
 
二曲目・・・
そして、終演である。
 
拍手の様子を聞いて、扉を開ける。
 
ホールから出た、お客さんたちが、立ち話をはじめる。
更に、私に声を掛けてくれる人もいる。
 
その藤岡の歌の評価を、ただ、ありがとうございます、と言い、聞いている。
 
ああ、終わった。
そして、無事に終わったことを、誰にともなく感謝する。
 
どうだった・・・
藤岡が訊く。
よかったよ、お客さんも喜んでいたし・・・
 
その日は、木曜日だった。
ピアニストが出て来て、木曜日も狙い目ね、と言った言葉が忘れられないので、覚えている。
要するに、客を集めるに良い日が、木曜日というのである。
 
私の企画した、最初のリサイタルが終わった。
 

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