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ある物語 53 

ある物語

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第五三話


場所を選ばずに歌うという藤岡の心。つまり、矜持である。
プライドとも、言う。
 
それは、私の察するところ、藤岡が学んでいた、ピアノ教育によるものではないかと、思えた。
藤岡は、声楽出身ではない。
 
声楽のピアノ伴奏をしていたと、聞いていた。
だが、その頃は、グリークラブに入り歌も歌っていた。
 
伴奏者としての、藤岡がいたということである。
 
そんな藤岡が、声楽家を目指す。
それは、どんな動機と、改心なのであろうか・・・
私には、興味があった。
だが、そこまで話し合ったことは無い。
ただ、カウンターテナーを目指したということだけである。
 
テノールより、高音域が出るから・・・
違う。
カウンターテナーが、最も藤岡の表現に合っていたのである。
 
それは、中世の西洋音楽の中にある。
それが、問題だった。
 
カストラートという世界に、私は少し興味を持った。
カウンターテナーは、そこから生まれたものである。
 
それには、素質が一番である。
ファルセットという、裏声の歌手・・・
 
何故、それに拘るのか。
その時、私は、長唄の歌い手のことを、思った。
長唄は、歌舞伎舞踊の主である。
その、長唄の歌い手は、カウンターテナーと同じく、高音域も出して歌う。
 
日本にも、そんな存在がいるのである。
 
だが、西洋音楽をする者、それを知らない。知ろうとも、しない。
何故なら、西洋音楽が一番だと信じているから。
 
つまり、お勉強不足なのである。
更に、清元、義太夫、など・・・
 
日本のことを知らない、西洋音楽の馬鹿者達である。
 
和楽のことを、知らないのである。
 
勿論、東京芸大では、長唄などの、部門もあるが・・・
東音会という。
ちなみに、私は、東音会の師匠に就いて、長唄、三味線を稽古していた時期がある。
 
西洋音楽の世界から、私は和楽の世界を見るようになった。
だから、藤岡に日本語の歌を求めた。
つまり、カウンターテナーという西洋音楽の枠の中で、日本語の歌が、どういう意味と、位置づけを負うものであるかと。
 
西洋音楽だけに拘る者は、大半が馬鹿になる。
アホになると、言っても、いい。
 
音楽というものを、狭義の意味でしか、捉えないということである。
 
それが、私には、不思議だった。
ましてや、日本人である。
 
だから、オペラなど、滑稽な舞台を見て、うんざりした。
更に、日本語のオペラなど、全く日本語に聞えないのである。
 
何か、違う。
 
それを、藤岡は、払拭した。
西洋の語感を持ち、更に、日本語の語感を持って、歌うことが出来るということを、藤岡は、示して見せたのである。
 
その萌芽は、鎌倉時代に住んだ時から、あった。
日本歌曲の練習をする藤岡の歌を私は聴いている。
 
その際に、藤岡が、私に尋ねる。
どう、大丈夫・・・
そこで、私はようやく、口を開いた。
 
思いいずる日・・・
それは、おオもオいイいイずウるウひイ、だ・・・
 
つまり、日本語が、すべて母音に返ることである。
 
私は、和歌を朗詠するので、特に、一音に対して、敏感である。
それを、藤岡に伝えた。
 
日本語は、母音に返り、日本語になるという、説明をした。
 
藤岡は、即座に理解した。
 
もし、日本語を歌うというのであれば、母音の価値、その存在を無視することは、出来ないのである。
 
何故か。
日本語は、すべて、子音が母音に行き着くのである。
 
藤岡の日本語が素晴らしくなった。
それは、私のお陰か・・・
違う。
藤岡の感性である。
 
何度、それを言っても、理解しない者は、理解し得ないのである。
 
日本語の、オーは、わおー、ではない。
それが、西洋声楽の限界である。


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