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ある物語 23 

ある物語

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第二三話
 
鎌倉に住んで、二回目の、正月である。
大晦日は、まりちゃん夫婦の提案で、四人で年越しをすることになった。
 
まりちゃんの手料理だった。
私は、宣男君に、お母さんは大丈夫と聞くと、ああ母なら大丈夫。別に、年越しとか関係ない人だからと言う。
 
それでは、と、まりちゃんの部屋に行くことにした。
沢山の料理を作っていた。
酒も少し飲んだが、料理で一杯になり、あまり飲まなかった気がする。
 
藤岡とまりちゃんは話が合った。
色々と話題が多い。
何せ、藤岡のしばらく使用した写真も、まりちゃんか撮ったのである。
 
私は、れい君と話をする。
そのうちに、紅白を見ようということになり、テレビを点けたまま料理を食べた。
最後に年越し蕎麦である。
 
昨年の大晦日とは大違いである。
藤岡は、お母さんと、私は一人で過ごしたのである。
 
紅白が終わり、新年の前に、鶴岡八幡宮に参拝に行こうということになった。
四人で向かったが驚いた。
もう、その鳥居から延々と人が集っていた。
 
私たちは、後尾の人の後である。
こんなに人が多くて、大丈夫かと思った。
 
そして、カウントダウンが始まった。
0時である。
歓声が上がる。
多くは、若者たちである。
 
それから、人の列は、ゆっくりどころか延々と進まない。
だが、そこから離れると、また後につかなければいけないから、我慢して待った。
 
一時間・・・
私たちは、漸く鳥居をくぐったが、その後も遅々として進まない。
これなら、朝になるね・・・
 
私がまりちゃんに言うと、どうしましょうと、まりちゃんも言う。
 
舞殿まで進んだが、また、その後が遅い。
参拝した人たちが、横の道から戻っている。
その後も、別な神社に行くのだろう、そこから鎌倉宮に向かっていた。
 
私は、もう限界だった。
人に囲まれて身動きが取れない。
 
やめようか・・・と、私が言うと、皆、そうだね・・・
それでは、どうやって横道に入るかである。
 
人を掻き分けて藤岡の部屋のある方の道に出た。
私は、その年限りで、新年の参拝にゆくのは止めた。
 
それじゃあ、また明日ということで、まりちゃん夫婦に別れて部屋に戻ることにした。
藤岡も眠いと自分の部屋に戻る。
私は、少し歩くことになる。
 
その道も参拝客で人が多い。呆れた。
そして、鶴岡八幡宮の人気を知った。
 
もう、二時を過ぎていた。
早々に、寝る事にした。
 
翌日も、まりちゃんの部屋に行き、雑煮を食べることになっていた。
まりちゃんは、関西風の雑煮を覚えたので、それを作るというので楽しみだった。
 
大晦日と元旦を、マリちゃんの手料理で過ごしたことになる。
関西風の雑煮は、白味噌を使い、はじめて食べる雑煮だった。
 
藤岡も、私も、お替りして食べた。
楽しい思い出である。
 
その後、藤岡は私の部屋に来て、過ごした。
まりちゃんは、楽しいね・・・藤岡が言う。
 
二人の話は、化粧の話しにまで広がる。
藤岡が舞台に出る時、少し化粧をして出るようになるのも、そのお陰だった。
 
その頃から、舞台マナーを考えていたように思う。
そして、それが現実になるのである。
 
二年目は、藤岡も交流を広くして、伴奏ピアニストなど多くの人と関わった。それが、また、藤岡の活動を広げたのである。
 
少しばかり、歌を歌うことになった。
ただ、それは無料である。
 
そして、また、それから色々な人たちとの交流が始まった。
広告などの作曲を手掛ける人との出会いも、ピアニストによるものだった。
更に、ある団体の代表と会う。
 
何か明るい希望が見えてきた。
 
更に、藤岡は、ある仕事をする決心もしていた。
私も、その仕事の相談を受けたが、何とも言えない気がした。
それでも、やると言うので、藤岡の意志に任せた。
 
その仕事は、その前にセミナーを受けるものだった。
几帳面な藤岡は、そのセミナーのノートを私に見せてくれた。
成功哲学なるもの・・・
そして、仕事のあり方、方法である。
 
更に、その社長に会い、藤岡の才覚を見抜かれて抜擢された。
一度、歌を止めて、この仕事に懸けてみないかとも言われたらしい。
君なら出来る。
そんな話を聞いた。
 
それでも、そこまで深入りすることはなかった。
一週間で、セミナーを続けて受けていた。
その後、藤岡が、そのセミナー講師になるとは考えもしなかった。
 

 
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