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ある物語 11 

ある物語

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論文集

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第十一話

 
引越しが決まった。
藤岡は四月の上旬で、私は五月のゴールデンウイークが明けてからである。
 
だが、引越しの荷物は、藤岡と同じ日にした。
同じ引越屋を頼むことで、料金を割り引きして貰ったのである。
 
私の荷物は、藤岡が私の部屋で受け取る。
荷物は最小限にしたが、一番多いのは本だった。
 
一ヶ月ほど、私が長く札幌にいる。
その間に、すべての手続きを終えるという予定である。
 
引越当日、藤岡から電話がきた。
母親が、古い物を捨てられず、みな持っていくと言うので、時間が大幅にかかっているとのこと。
予定の時間を三時間ほど過ぎても、終わらないのである。
 
藤岡の母は、何から何まで取っておくタイプである。
藤岡の子供時代のものを、すべて保存していた。
それが今、とても重要なものになっている。
 
藤岡の鎌倉の家賃は12万円である。
藤岡は、こんなに家賃を払った事がないと言う。
現在のマンションも社宅扱いで安い。
そこで、少し不安になったようである。
 
私は、言った
これが現実だよ・・・
 
すでに、新しい道に歩みだしたのである。
 
だが、もう引き返すことは出来ない。
 
先に鎌倉に向かった藤岡は、ただ、私を頼りにしていたようである。
知り合いもいない。
頼れる人もいない。
だが、それは、私も同じであった。
 
ちなみに、私は、私の鎌倉行きを占った。
最悪の卦が出た。
 
面白い。
それでは、その最悪というものを、見て見たいと思った。
そして、それは、本当に最悪の事態だった。
地獄の鎌倉生活が始まるとは、知らずである。
 
送別会という嫌な事も、すべて終えて、漸く私が鎌倉に向かった。
 
その際に、私は飛行機を使わなかった。
すでに、パニック障害の前兆があった。
これを語れば長くなるので、省略するか、後で書くことにする。
 
苫小牧からフェリーに乗り八戸まで行き、盛岡で新幹線に乗り換える。
東京に着いて、横須賀線に乗り換え鎌倉に向かう。
 
東京に着いた時、藤岡に連絡した。
すると、鎌倉駅で待っているとのこと。
 
まだ、肌寒い札幌から、暖かい内地である。
鎌倉は、更に暖かく感じられた。
 
電車を降りて東口に出ると、藤岡が立っていた。
 
木村さん、待っていたよ・・・
心細い感じが伝わる。
 
夕暮れ時である。
藤岡と、私の部屋まで歩いた。
 
憧れの鎌倉の街である。
 
ゆっくりと、歩いた。
何とも、感慨深いものがある。
 
実は、後で気づいたのだが、私は全国を回って仕事をしていた時に、一度、鎌倉に来ている。
そして、私の部屋の前のバス停から、鎌倉駅に向かったのである。
つまり、私は、その場所に一度立っていたのである。
その時は、まさか鎌倉の、この場所に住むとは考えもしなかった。
 
源頼朝の墓に近い場所である。
 
そこで、最悪の暮らしをするとは、思わなかった。
 
ここが、木村さんの部屋だよ・・・
藤岡が言う。
 
三階建てのビルの、三階の角部屋であった。
文句は言うまいと思った。
藤岡の心を傷つけたくない。
 
どう、木村さん・・・
いいね・・・
 
決めたことだ、何も文句は無い。
ここから、始まるのだ。
 
藤岡の借りた部屋は、私の部屋の通り道にあった。
 
鎌倉幕府の中枢があった場所である。
鶴岡八幡宮に近い。
そして、萩の寺で有名なお寺の近くである。
 
何も無い部屋に入り、私は、ここから始まると言い聞かせた。
 
移動した私は疲れていた。
兎に角、食事をしようと藤岡と、外に出た。
それが、どこなのか、今は忘れたが、どこかで食事をした記憶がある。
ただ、部屋に入った時、藤岡が手を差し出した。その手を、握った感触がある。
これからだね・・・
 
今は、実に悲しい思い出である。

 
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