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ある物語 62

ある物語

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第62話


ミュージカル最終日、打ち上げに出た。
ホールから近い、新宿のビルのカラオケ併設の居酒屋である。
 
少し早めに到着して・・・
それぞれの役者を待つ。
 
その間、私は藤岡とオリジナル曲をアルバムにすることを、話していた。
だが、曲数が足りないのでは・・・
 
そのうちに、皆さんが到着し始めた。
プロデューサーも、その他大勢のスタッフも。
 
主役、準主役の役者が、何やら挨拶をしていたが、あまり聞えない。
兎に角、無事に終えたということだ。
 
飲み物、食べ物・・・
歓談があった。
色々な人と話をしたが・・・忘れた。
 
頃合いを見て、退散しようと思っていた。
だから、あまり酒は飲まない。
酒を飲んで電車に乗るのは、とても大変なことだった。
 
今だから、書けるが、藤岡のギャラは、一番高いものだった。
それは、私が交渉したのである。
極秘ということで、決まったのである。
 
要するに、その舞台に出るということが、ステータスになるという、考えだったようだ。
 
こちらは、そんな意識は全く無い。
何せ、藤岡は、芸能界ではなく、芸術活動である。
そこでの、評価は、あまり問題にならないのだ。
 
名前を売るといっても、大したことはないし・・・
と、私は、思っていた。
 
その夜、藤岡に話した、オリジナル曲のアルバムの話は、現実のものとなった。それについては、また書くことにする。
 
どちらかというと、若い人たちばかりが目に付いた、打ち上げである。
カラオケが始まる様子なので、私たちは、そろそろと腰を浮かせた。
大勢の中では目立つので、私が最初に、そして藤岡と立ち上がった。
 
何となく、いなくなる・・・
そんな感じで、ビルの外に出た。
そのまま、駅に歩く。
 
藤岡は、それほどの疲れは無かった様子で良かった。
本人も楽しかったと言う。
 
逆に、私の方が、疲れていた。
その公演の合間に、名古屋で開催したコンサートのアルバム製作をしていたのである。
その担当者を、ホールに呼んで、打ち合わせなどしていた。
 
藤岡は、これが終わり、少しの休みがある。
が、私には無い。
 
独楽鼠のように、色々とすることがある。
絶えず、コンサートのチラシ製作などである。
更に、一年後のホール予約・・・
 
横浜の私の部屋に戻り・・・
藤岡も、さすがに疲れを感じたのか・・・
暫く、部屋で休んでいた。
 
少しばかりの花束を母に持って行くというので、私は、それを水につけた。
 
新しい世界を覗いた。
芸能界につながる世界である。
 
主役の女の子は、これから歌手としてデビューするという話だった。
でも・・・
その後、どうなったのか・・・解らない。
 
準主役の男の子は、テレビのCMで何度か、見かけたが・・・
テレビを見ないので、それ以後は解らない。
 
その際に、藤岡は、数人のビジュアル系の男の子たちと出会いがあり、コンサートに来た子もいるが・・・
 
一年ほどで、その付き合いも、終わった。
 
夏の日は、早い。
夜に鳴く虫の音は、もう秋を感じさせた。
 
つまり、翌年の春の予定が立っているということだ。
 
更に、来年の夏の予定である。
 
こうして、永遠に終わらないような日々を送るのか・・・
芸術活動とは、終わらないもの。
そして、完成するということもない。
 
区切りをつけることもないのである。
延々として続ける活動である。
 
これに耐えられるか。
強い精神力が必要である。
更に、高い目標。
 
それは、私も芸の世界にいたから、解るのである。
身を引く、つまり、止めるまで続く世界である。
 
そして、死ぬまで続けられる世界でもある。
 
死ぬまで、歌い続ける覚悟。
死ぬまで表現する覚悟である。
 
ようやく、藤岡が花束を持って、立ち上がった。
自分の部屋に戻るのである。
 


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