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ある物語 40 

ある物語

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第四〇話


新幹線で神戸に向かい、その日のうちにMさんに会って、店舗の地下にある部屋を見せてもらい、伴奏無しのアカペラですることを言う。
少し戸惑うMさんであるが、話を進める。
 
札幌リサイタルのビデオを持参して、それを見てもらうことにして、奥様とも一緒に食事をしてホテルに戻った。
 
そして、藤岡に電話する。
そのホールの様子など・・・
どう、いいね・・・
うん・・・
 
藤岡も暢気に構えている。
いや、自信があったのか。
 
日本の歌も入れてね・・・年寄りが多いらしいから・・・
わかった・・・
 
そんなやり取りである。
 
ホテルは新神戸駅の前で、その夜景を見つつ、藤岡と話しをする。
 
アカペラでうまく行ったら、また、どこかでしょうよ・・・
うん・・・
と、私は、次のコンサートを考える。
 
空白が多かった手帳が次第に埋まるのである。
ああ、昔のような気分だと思った。
 
昔、私は札幌で文化教室を主宰していて、毎日のように予定があった。
毎日、お祭りのような気分なのである。
 
年に三回ほどの、お茶会や、いけばなの発表会、そして、舞踊の発表会から、親睦会・・
占い師としての仕事での、イベント参加・・・
とても忙しいのである。
 
だから、部屋に戻ると、誰とも口を聞きたくないので、誰も部屋に入れなかった。
 
そのイベントも、全国を回るようになり・・・
遂に、もういいとなった。
疲れた。
37歳で、週休5日にした。
教室に2日のみ出る。
その他の仕事は、辞めた。
 
空いた時間は、小説を書くようになった。そして、週に三度プールに行く。
二年を過ごした時、お弟子さんの一人からバリ島に行きを誘われた。
 
その頃から、パニック障害の芽があったので、断った。
飛行機に乗れない・・・
すると、お弟子さんが言う。
大丈夫、乗ってしまえば、諦めるしかない・・・
 
無理矢理、決められた。
その日が近づくにつれて、不安大。
そして、前日、矢張り、行けない・・・・
だが、お弟子さんが、見送る旦那さんと迎えに来た。
どうしても、行くしかない。
 
もう一人の知り合いも、空港で合流した。
その時、その知り合いが、ツアーではなくビジネスクラスを予約していて、その席を私に使って欲しいと言う。
それが、少し幸いした。
 
だが、グアム乗り継ぎで、グアムまでの四時間・・・
具合が悪いのである。
薬は無い。ただ、酔い止め薬を飲んだだけ。
 
漸く、グアムに到着した。
そして、外に出た。
その時、不安は解消された。
グアムの風に、感動して、である。
札幌は、寒い四月。グアムの風は真夏の風。
救われた気持ちになった。
 
それから、飛行機に乗る、乗る、乗る。
だが、その二年後の、一人旅で上海に出掛けた時、確実にパニック障害を起こしたのである。
もう、駄目。
丁度、風邪を引いていて、風邪薬を飲んでいたせいもある。
新千歳から羽田の飛行機で、パニックに・・・
そこから、バスで成田へ・・・
 
成田で考え続けた。
もう、ここで止めようと。
しかし、時間が迫る。
気持ちが行きつ戻りつして、何となくゲートを進む。
それで、上海へ。
 
お弟子さんの友人が案内してくれるとのことで・・・
ところが、ホテルに到着しても、電話が無い。
日本のお弟子さんからも、何度も電話があった。
 
夜になって、漸く、電話が来た。
明日、会いましょうということ。
更に、蘇州案内には、ラオス人の留学生を紹介されていた。
それは、三日目である。
明日、その人に会わなければ、ラオス人の学生とも会えないので、ホッと一安心。
 
だが、それ以来、私はパニック障害の患者になっていたのである。
余計な話しでした。
 
兎に角、神戸のコンサートが決り、横浜に戻る。
 
藤岡に改めて、説明する。
Mさんは、年寄りだから、話が遅いよ。だから、こちらで、どんどん決めてさ・・・
うん、解った・・・
チラシも、チケットも、私が作ることにしていた。


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